私は、今私が生きている時間を惰性だと思っている。坂を勢いよく下ってきたトロッコが平坦な道に差し掛かってもなお動き続けているような。それまでの勢いだけを原動力にしていて、いつ止まるかなんてわからない。

特進で入学したものの、二年から三年への進級時にクラスが落ちた

私はもう死んでしまおうかと、心が地の果てまで落ちたことが人生で幾度となくあった。
死に痛みや苦しみがあって……おかしな表現だが、よかったと心底痛感している。もし痛みも苦しみもなかったらきっと、とっくに死んでいた。トロッコはきっとゆるゆると動きを止めるか、壁にぶつかり木っ端微塵と化していただろう。
でも私を乗せたトロッコは、今なおゆっくり生というレールの上を低速であれ、進んでいる。

それにはある二冊の本が影響している。私の死を想う波のひとつは中学三年生の頃に一波ざぶんと勢いよく私を水中にさらい、酸素を求めてもがく私を嘲笑った。
中高一貫校の母校は特進クラスと普通科クラスがあり、私は特進で入学したものの二年から三年への進級時にクラスが落ちたのだ。いわば都落ち。普通科クラスは中二から中三でのクラス替えはない。つまり私だけがもう完全にコミュニティが出来上がっている中に……要は透明な水の中にぽつりと一滴垂らされる墨汁のように異物として落とされたのである。

人と関わりたくないわけではないのに、どんどん孤立を極めた

勉強についていけなかった私が悪いといえばそれまでだが、記憶がないほど、新しいクラスの空気は吸いにくかった。
誰もが名前やニックネームで呼び合う中、私は「忍足さん」。私以外は皆2年も同じクラスで過ごしてきたのだから顔と名前の認知なんて当然なのに、私は顔と名前の神経衰弱からはじめなくてはならない。
もう出来ているグループに「いれて」という勇気はなく、本を読むふりのスキルだけがぐんぐんあがった。もしもアカデミー賞に本を読むふりをする女優部門があったならば、私はレッドカーペットを歩くことになっただろう。

そんな私をクラスメイトは「ああ、あの落ちてきた子は人と関わりたくない子なんだ」と思い違いをしたので、どんどん孤立を極めた。人と関わりたくないわけではない……どうしたらいいのか。話すのは下手だけれどメールならどうかとクラスメイト全員にメアドを書いて渡すものの、何度問い合わせても新着メールはゼロ。
ぽっちゃりしているのがいけないのかと、食べた給食を吐くというおかしな癖をつけてしまったが、体重が二十キロ近く減っただけで友達はゼロ。馴染みのある特進クラスの教室に名前やニックネームで呼びあえる友達を求めて行く、自分のクラスではない場所でやっと私は呼吸の仕方に気が付くけれど、でもすぐにまた息の吸い方が分からなくなる。

「自分のクラス以外には入ってはいけません、忍足さん。ここはあなたのクラスじゃないでしょう」

ぴしゃりと特進クラスの担任教師はそう言い捨てて、こちらでも異物である私を排除した。みじめな私がぽつぽつ渡り廊下を歩いていると同じクラスの子達がにやにやと近づいてきて、「ねえ忍足さんってさ、学校楽しい?」「特進から落ちてきたのってどんな気持ち?」と茶化すように聞いてきたので何故か無性に恥ずかしくなり、顔が赤くなるのをこいつらには見られたくない。何も答えず逃げると盛大な笑いが起きた。異物の私はこうして、いじめとは違うけれどイジリにあうことが多々あり、これが初めてではなかった。

クラスメイトのひとりの顔を思い浮かべて「可哀想な人」と言ってみた

逃げた先の図書室で出会った本が、山田詠美さんの「風葬の教室」。この本では都会から田舎に引っ越してきた主人公の杏が、人気の教師に好かれたことによりクラス中からいじめにあう……ものの、ある奇策でそれを克服するものだ。

その奇策とは理科の先生の言った「お腹いっぱい血を吸って気分の良くなっている蚊を殺す」という話と、かつていじめられていた姉が「いじめっ子を一人一人心の中で殺す」ことで切り抜けた話を思い出し、いじめによってお腹いっぱい血を吸った蚊のような状態のいじめっ子を軽蔑という形で殺すを覚える、というものだ。
私のは、いじめとまではいかないかもしれない。「死ね」といわれるわけではないし、物を隠されたり髪を引っ張られたりしていない。でもイジリだろうが私は不愉快で、悲しくて、苦しい。
ケラケラと手をたたいて笑っていたクラスメイトのひとりの顔を思い浮かべて、そっと「可哀想な人」と言ってみた。けれどもまだしこりのような物が残っていた。まだ足りない。頭の中で私は無防備な彼女の首に手を伸ばしてそっと力を込めた。

はらわたが煮えくり返るようなイジリもどうでもよくなった

刑事ドラマの大ファンの私は、彼女がもがき苦しみ、そして動かなくなる様が容易に想像ができた。殺したのだ。するとすうっと心が軽くなった。
遅れて襲い掛かってくる罪悪感、けれど現実彼女は今頃教室で、今日の給食はなんだろうなんて呑気にしている。私は誰も現実では殺していない。
でも頭の中で息絶えて横たわる彼女を想像するだけで、何故か自分が強くなったように思えた。そしてそれと同時に、先ほどまでのはらわたが煮えくり返るようなイジリもどうでもよくなった。だってもう彼女は私の心と頭では死んでいる。死人に口なし。

幾人もの女性と浮名を流したり逮捕されたりしたこともある昭和の名優が、伝説としていいエピソードだけにテレビがスポットを当て、悪いエピソードには目をつぶるように、死んだらある程度のその人によって着火した苛立ちは清算される。彼女のイジリもそれと同じで私の中から昇天した。

もし「風葬の教室」と出会い、歪んでいるし道徳的とは決して言えないけれど、生きていくのに必要なこの処世術を身に着けられなければ、恐らく息のできない中三の教室に耐えられず私は教室のベランダにある柵を羽のように飛び越えただろう。

両手両足の指じゃ数えきれない誰かが泣くまで生きようと思った

もう一つの本は漫画の「最遊記」。作中に「お前が死んでも何も変わらない。だがお前が生きて変わるものがある」という台詞がある。

私の人生はこの後にも死に誘う波が打ち寄せた。非道徳的な処世術をもってしても折れそうなことがあった。けれどこの台詞を思い返すと、それまで苦から脱せられる甘い水のように思えた。死に躊躇いが生まれた。

そう、死んだところで何も変わらない。地方局のニュースで三十秒程淡々と報じられて、別にいてもいなくても変わりのないクラスメイトの死を誰も悲しまない、泣く友達を考えたけれど片手の指で事足りた。全校集会でちょっと黙祷を校長が促し、皆が嫌々黙祷をする……今死んでもその程度。ならば生きようと思った。死んでも変わらないのならば死ぬ意味がない。
生きて何かを変えて、もし死ぬ日が来るならば大々的に報じられ、なんならニュース速報が出るような影響力を持つ頃まで死ねない。私の死で両手両足の指じゃ数えきれない誰かが泣くまで生きようと思った。

思春期に私を生かした本は、今なお生かしている。本棚にこの二冊の本がある限り、私を乗せたトロッコは緩やかであれ、止まることはないだろう。