卒業アルバムの写真を撮るとき、心身ともにボロボロだった
中学3年生のある春の日。今でも時折思い出して泣きたくなるような憂鬱な出来事があった。それは卒業アルバムの個人写真撮影会だ。
当時の私は、学校でいじめにあっていた。家庭では虐待にあっていた。そのため、慢性的な睡眠不足であり、心身共にぼろぼろの状態であった。
頬は肌荒れを起こして、皮膚がぼこぼこに腫れてしまった。唇は確か、顔をひっぱたかれて皮が剥けて血が滲んだんだっけ。生きているだけで辛いことばかりで、泣き続けた目は腫れぼったくなっていた。そして、極めつけは短く切られた髪である。
いじめの原因は男女関係。同級生の女子は、私が女性らしい振る舞いをすることが許せないと言う。同級生男子は女子にいじめられることを恐れて、徐々に向こうの味方になった。
気の強い同性に嫌われたら中学生活はおしまいだ。そのため、女性らしく見られないように短く髪を切った。さらに両親からは、養ってもらっている分際で色気づくなと、さらに短く髪を刈られた。とにかく自分の中で最悪のコンディションだった。
笑おうにも笑えない。撮影のたった数分が地獄の時間だった
複雑な思いを抱えながらも、少しずつ順番が回ってくる。髪の毛が綺麗にセットされたいじめっ子たちは満面の笑みでカメラに写り、満足気にその場を立ち去った。
とうとう私の順番が回ってきた。私は椅子に座ると同時に、一生懸命に笑おうとした。
しかし、顔がひきつり、上手く笑えない。この醜くてぼろぼろの自分が、不特定多数の誰かの思い出に一生閉じ込められたまま生きていくことが嫌で仕方なかった。
そして、思い切って口角をあげようとしたその瞬間、撮影に来ていたカメラマンが私の顔を引っ張った。驚きのあまり、椅子から落ちてしまった。
いじめっ子が撮影の様子を覗き見して、クスクス笑っている。早くこの場から抜け出したい、なんとかして撮影を終わらせたい、誰かに助けて欲しい、撮影のたった数分は地獄の時間だった。
私はこの場から逃げ出したくて、半泣きになりながらトイレに向かった。案の定ひどい顔だった。
出来上がった写真は、つねられた部分が赤く腫れて、引きつった暗い笑みだった。目線も不安定で、頭の向きも1人だけずれている。そして、自分の一番不幸で情けない瞬間は今現在も、卒業アルバムを通して同級生に共有され続けている。
卒業アルバムは負の遺産で、良くない思い出を呼び起こす
最近、友人から「卒業アルバムを見せて」と何度も言われてしまったことがあった。
醜いあの姿を見せた結果、絶交されたらどうしよう。心配になった。どうしても見せたくない。私は持ってないと嘘をつき断った。
その後、その友人は、他の人から私の学校の卒業アルバムを見せてもらっていた。LINEで私にあの忌まわしい顔写真を送り、その後「やばいやつの顔www」と丁寧にコメントまで付けてくれた。
私は友人の浅はかさに絶句した。また、元いじめっ子と友人が繋がっている可能性について考えるようになった。LINEでの友人のノリはあのときのいじめっ子を彷彿とさせたから。私はその友人と距離を置いた。
そう言えば卒業アルバムって何のためにあるのだろうか。強いていえば楽しかった学校生活の思い出を残すためだろうか。
でも、私にとっては卒業アルバムは負の遺産で、良くない思い出を引き起こすものである。不特定多数の人に顔を晒すことはおかしいことではないか。わざわざいじめっ子の顔を手元に残しておく必要があるのか。そして、卒業アルバムの影響で、人の容姿が一生馬鹿にされ続けるのは許されることなのか。卒業アルバムって、学校生活が全盛期だった人向けの娯楽ではないのか?
中高時代、卒業アルバムは半強制的に生徒全員が買わされた。でも卒業アルバムを買わないという選択もあっても良いと思う。卒業アルバムの文化は学校生活が楽しかった人だけが好きにやって欲しい。
私にとって卒業アルバムは負の遺産。そんなものはいらない。