「何で、おまえの夢に付き合わなきゃいけねえんだよ」。
受話口から放たれた正論に、返す言葉が思い浮かばない。私はスマートフォンを片手に、天を仰いだ。
大学4年生の冬だった。同級生が就活を終え、二度と戻ってくることのないキャンパスライフを存分に満喫している最中、私はリクルートスーツを身にまとい、社会に勝負を挑んでいた。将来の道が決まるまで、結局1年くらいはかかっただろうか。面接で自分をうまく売り込めず、苦戦した。
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私の就活はちょうど、採用活動の解禁日が後ろ倒しになり、現場が混乱した2015年に当たった。学生が学業に専念できるよう考慮された結果のようだが、蓋を開ければ、解禁日を無視して早くから選考を始める企業が多く、効果はなかったのでは、といまだに思う。活動が長期化する学生もいた。私もその一人だ。
何かを伝える仕事に就きたかった。テレビやラジオ、新聞、雑誌などマスメディア関係の会社は徹底的にエントリーしたし、関心の高かった旅行、アパレル、教育業界で広報に携われる企業も含め50社近く受けた。にもかかわらず、一次審査を通過したのはほんの数社、内定をいただけたのはたった3社だった。
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幸い、納得できる会社があった。教育関係の出版物を製作するベンチャー企業で、説明会には敏腕の社長自ら登壇し、社員の魅力や仕事の楽しさ、働き方などについて語ってくれた。
入ってみなければ現実どうかなんて分からない、というのが正直な感想だったが、意識の高い同僚と質の高い仕事ができるだけでなく、自分を成長させるための刺激を受けられそう、という印象を受けた。
ただ、希望するライター職への配属が約束されていた訳ではなかった。営業や販売といった違う職種になる可能性もあるという。若干の迷いを抱えたまま、内定式に出席した。
迷走させるように、秋採用も活発になり始めた。就活を続けるかどうか。再び戦うエネルギーは、もう残っていなかった。やったところで、自分は必要とされていない事実を突きつけられるだけ。早く楽になりたかった。
それでも、夢を応援し続けてくれていた教授に、飲んだ勢いで啖呵を切ってしまった。「私はライターになりたい」。後に引き返せず、泣く泣くエントリーシートを書き始めた。
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奇跡が起きた。地域情報を発信する、関東圏の地元メディア企業から、ライターとして内定をいただけた。「関西の都会から、わざわざ地方に来るなんて。もし受かったら、どうするの?」。何度も聞かれた。当時、地域と縁のない人が受けに来るのは珍しかったようで、採用しても入社するのか、半信半疑だったようだ。
「絶対に入ります」。
言い張った。採用の連絡を受けたのは、別会社の採用試験に向かっている道中だった。自分が進むべき道は、これだ。確信が持てた。
喜びもつかの間、入社予定だった会社に辞退の連絡をしなければならない。乗り換えで多くの人が利用する、とある私鉄ホーム。ふーっ。深呼吸し、電話を掛けた。
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怒られるのは想定内だったが、まさか罵声を浴びせられるとは思ってもいなかった。そらそうだよな。優秀な就活生が数多くいる中、何を血迷ってか落ちこぼれを採用したのに。内定式で某高級焼き肉店のランチを振る舞ったのに。入社3か月前に辞退したいなんて言われたら、社長も怒り狂って当然だろう。
とはいえ、法律上は入社式の2週間前まで許されているのだから、あってもおかしくない話だろう。たかが学生に感情をむき出しにするなんて、ちょっと大人げないのではないか。
電話した数日後、社長のSNSには、内定を辞退した無礼な学生を非難する投稿があった。もし、社長の脅し文句に負けていたら。自分の夢を諦め、入社していたら…。社長の本性が垣間見えた今、明るい未来なんて想像できない。
今の会社には心許せる同期がいる、頼れる同僚がいる。自分を大切にしてくれる居場所。時間がかかったり、多少の困難があったり、見つけるまで平坦な道のりではなかった。それでも、必ずあるから。あの時、逃げてよかった。