「あなたがそのお客さんと直接会って、頭下げれば解決するんじゃない?」
電話口で無理難題を吹っかけられた挙句、逆上されてストーキングにあっていた私に、上司はこう言った。上司は女性だが、ストーカーの怖さは分からないのだろうか。この一言が引き金となり、私は職場から逃げることを決意した。

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思えば、これまでの人生、私は逃げたことがなかった。アトピー性皮膚炎を理由に幼稚園で化け物扱いされても、中学校の生徒会で教師6人からいびられても、高校の同級生に親の死を馬鹿にされても、学校を休んだことも、辞めたこともなかった。それは決して私が強いからではなく、逃げることが負けだと思っていたから。

それ故、逃げる決意はしたものの、私は職場からの逃げ方が分からなかった。苦労して就職した会社だし、すぐ辞めるのは勿体無い気もする。そもそも、次の職場が決まる前に辞めたらニートになってしまう。今のままでも良いのかもしれない、上司さえ無視すれば良いのだ。そんな思いを抱えつつ、仕事を続けた。

上司の言動は、日に日にエスカレートしていく一方だった。「あなたたちは他の会社では通用しない人材だから」が口癖で、雑談の後にその一言が入るのはもはや日常茶飯事だった。私が新型コロナウイルスに罹ってしまい、隔離期間が明けた際には、「免疫が弱いから病気になる、社会人失格」と皆の前で叱責された。会社に疑念が生まれる一方で、転職経験のない私は、これが社会の厳しさなのだろうとも思っていた。

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段々と、体に幾つかの異変を感じるようになった。
まず、通勤中に嘔吐するようになった。最初はウイルス系の病気かと思ったが、何度検査しても異常なし。また、頻度も高いためストレスであろうと診断された。プライベートの旅行の時ですら、通勤ルートと同じ路線を利用したところ、上記の症状が起こってしまった。

また、睡眠が取れなくなった。初めの頃は、まあ眠れない日もあるだろう程度で気にもとめなかったが、睡眠時間2時間以下の日や、一睡もできない日が続いた。やっと眠れたと思っても、途中で起きてしまうこともしばしばあった。限界を迎え、睡眠クリニックを探して受診した。

その頃、上司に退職したい旨を伝えた。引き継ぎ等も考え、余裕のある退職日を決めてから相談した。しかし答えはNO。人数が足りないからと、退職願すら受け取ってもらえなかった。

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それからは地獄の日々だった。
先輩社員の産休や育休が続き、私の退職に割り込まれる形となった。(もちろん悪いのは上司であって、産休や育休に入る方に罪はないが。)その方々の仕事は私に引き継がれたが、私の仕事の引き継ぎ先はなかった。引き継ぎの際には、「仕事はあなたでもできるけど、この赤ちゃんの親になれるのは私だけだから」と言われ、複雑な気持ちになった。

そして、事件は起きた。体も気持ちもパンク寸前だったある日、職場の会議室で、強制参加の飲み会があった。取引先の方もいる前で、自社の役員から指名され、歌え、踊れと怒鳴られた。また、役員の口元までサンドイッチを手で運び、食べさせるよう強要された。先輩社員達は、下を向いて見て見ぬふり。女性上司に至っては、やりなさいと後押しする始末だった。

何のために就職したのだろう、何のために吐き気や睡眠障害を我慢していたのだろう。悔しかった。人生を否定された気分になった。
飲み会の後、体が震え、涙が止まらなかった。上司や先輩社員達は私を一瞥するや否や、「嫌なら断れば良かったでしょ、あれがうちの伝統なんだから」と冷たく言い放った。

しかし、先輩社員の中で一人だけ、私に声をかけてくださった方がいた。
「この職場から逃げてもいい、逃げることは負けではないよ。」
この一言は、どんな言葉よりも私の心に届いた。私は、人生で初めて、逃げることを決意した。

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その日、私は職場の全ての荷物を家に持ち帰った。翌日には睡眠クリニックで診断書をもらい、翌々日には会社に診断書を提出して、職場を去る手続きをした。

逃げることを決めてからは、これまでの悩んでいたことが嘘のように軽く感じた。その後、診断書の受理を拒否されても、残業をすれば睡眠障害は治るだの、毎日残業は必須なので定時で上がりたい時だけ許可を取れだの、散々嫌味を言われたが、もう何も気にならなかった。

私は現在、職場から逃げ、治療を続けながら転職活動をしている。今までされてきたことはおかしかったのだと、逃げることでようやく気づくことができた。
これまでの洗脳がとけた今、私には2つの野望がある。1つ目は、「私は他の会社でも通用する人材」であることを転職結果で証明し、上司を見返してやること。そして2つ目は、先輩が教えてくださった「逃げることが負けではない」ということを、このエッセイを通じて伝えることである。