中学1年生。思春期。人が大きく成長する大切なステップの時期。

ストレスを察知したのか、中学時代の記憶は靄がかかったような記憶に

理由もなしにグループ内でいじめを受けた。仲間外れにされ、リーダー格の女に私の目を見ながら他の友達にこそこそと陰口を言われた。
自分なりに考えた結果、太っていたことや目つきが悪かったということがいじめを受けた原因なのだと思った。それが本当の理由か否かは今となってはわからないのだけど、中学生になると見た目をより意識しだす年齢。恐らく見た目のことだったのではないかと思っている。

私の脳はストレスを敏感に察知したためか、中学時代の記憶は靄がかかったようにしか覚えていない。小学生時代の友達は皆違うクラスになって、それまで自分から友達作りをしたことがなかった私は戸惑った。担任や主任にいじめられたことを相談するも、「人間だから仕方がない」と一蹴されてしまい、人がますます信じられなくなった結果学校を休むという選択をした。

2年半、不登校を決め込んだけれどなんだかんだあれでよかったのだと思う。
学校に信じられるまともな大人は誰もいない状況。勝てない戦は早く退いた方がいい。

鬱になる前に、その場からさっさと逃げることをお勧めしたい

ただ、社会的には我慢して通い続ける人は讃えられる雰囲気がある。本人も耐えたことを誇りと思うケースが多いと思う。逆に不登校の人は白い目で見られがち。それはそれで当然のことかと思う反面、八方塞がりの中、登校してひたすら我慢というのは当時の私には難儀だった。自分の限界だと思ったら、周りに味方が誰もいなかったら、鬱になる前にその場からさっさと逃げることをお勧めしたい。

それで自分の好きな音楽や本、映画などに身を委ねてみる。私は不登校だった時、かなりこれで心救われた。今でもその辛い時に触れていた本はしっかりと人生に彩を添えてくれている。中学は行けなくても高校は行けたので、大事なのは人と環境だと個人的には思う。

自己啓発本的な感じで言うと「逃げ力」。
時には必要かもしれない(既にあるのか調べてみたところ百田尚樹さんの本に「逃げる力」があった)。逃げ癖は正直今も残ってはいるけれど、人によって何もかも違うので「これでいいのだ」と思っている。甘いと言われたら甘いのだろう。

憎み、恨みを持てば同じ穴のムジナ。あなたと私は楽しく笑っていよう

「あの時もっと強かったら」「なぜ私はこうなんだろう」と後悔した時間はトータルにして何時間にのぼるだろう? いじめって怖いものだよね。いじめた側からしたら小さなことでも、明らかに相手の人生に大きなダメージを与えてしまう行為。それを踏まえて、いじめる人達よりも精神的に豊かでありたいと思うようになった。

今いじめや人間関係で悩む人に伝えたい。いじめっ子には大らかさが足りないのかな〜と思う。まずはあなたの心をより高い位置に設定して。そして何でもいいから好きな事に熱を注いで。憎んだり恨んだりという心を持ったら同じ穴のムジナだから、あなたと私は楽しく笑っていよう。

そして、今後同じ様にいじめで悩んでいる人が近くにいたら数分でも良いから話をしてみて。経験者にしか言えないこと、わからないことはたくさんある。あの時の私に親身になって悩みを聞いてくれる人がいたらどんなに嬉しかっただろうと、今更ながら思う。

だから今後そういう様子の人がいたら、年齢関わらず一度話してみようと思っている。全く違う経過を辿っていたかもしれないと思うと、時が戻せないという事実にとてもとても歯痒い。

1人でも泣き顔から笑顔に変わってくれることを、心より願ってます。