整形、いいんじゃない?というのが私の美容整形への率直な印象である。

SNSで話題の人が整形を公表したり、整形の一部始終を公開したりしているからか、整形へのハードルは低くなってきていると思う。それに対して私は別にいいとも悪いとも思わない。ただ、整形したことを正当化したり、整形に偏見がないことを主張したりしないといけない風潮や、整形したことに対して批判や賞賛を向けるのは何となく居心地が悪い。

顔の造形や肌質は持って生まれたモノが大きいし、努力で変えるには限界がある。整形の経験もなく、整形したいと思っているわけでもない私がこんなことを言ってしまうことも過剰反応かもしれないが、整形して意図的に形を変えたとしても、別にわざわざ批評することではない。よく笑う人に笑い皺ができやすいように、太陽の下で働いてきた人にしみができやすいように、顔のどこかを変えたいと思っていた人が意図的に形を変える選択をした、ただそれだけだ。

整形したいと思う程苦しかったんだね、と同情するつもりもない。整形を打ち明けられたときには、そうなんだ、綺麗になったね、以外の適切な言葉が見つからない。○○、整形したらしいよ、の噂話も、へえ、そうなんだ、以外に反応のしようがない。

過剰に反応するのは他人のエリアに土足で足を踏み入れているような感じがして居心地が悪い。何となく私がこのエッセイを書いていることにも、違和感がある。

ここまで長々と書いているが、どうしても文章に棘を隠し切れないのには理由がある。

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以前付き合っていた彼と、美容整形の話になったことがある。というか、それで喧嘩をしたような覚えがある。

共通の知り合いが話題に上がり、「○○さんって絶対整形しとるよな」という彼の発言にピリッとした私は「私も顔変わったって言われるけど」と大学に入ってすぐの写真を見せた。途端に「え?整形しとる?目?確かに印象違うな」と粗探しをするように写真と私の顔を見比べ始めた。そんな彼の、過去に整形したかもしれない私や知り合いを下に見るような態度に、怒りに似た感情と気持ち悪さを感じた。

大学に入学してすぐの頃より体重が5キロほど落ちていたので、顔の印象も変わっていておかしくない。整形したんだろうなと思われても納得できる。ただ、彼の整形に対する蔑んだ視線とその視線は正当であると信じてやまない傲慢さにうんざりすると同時に、彼女である私が過去に整形をしているかもしれないと疑い、過剰に反応する彼にがっかりした。

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過去はその人の為人を形づくるのに大きな影響を与える。けれども、それはその人そのものではないし、その人の全てではない。過去のその人の経験や選択について、何も知らない他人がジャッジできるはずがない。別に整形に対してネガティブな印象を持つなと言っているわけではなく、ただ、整形をしている人をわかった気になって安易に批判するその傲慢さが気に入らなかった。

そうやって彼の自分の意見をまっすぐに主張できるところが好きなところでもあったが、付き合う期間が長くなるほどその主張の強さが鬱陶しかったし、別れて1年以上経つ今でも彼との喧嘩はいい思い出として消化できていない。

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正直、他人に対して棘のある感情を露わにすることにはとても抵抗があるが、整形に関しての考えを吐露するにあたって彼との一抹のやりとりは避けられないし、私も無意識に他人の言動でその人をジャッジしている未熟さと向き合わなければならない。そもそもこのエッセイそのものが、私が他人を過去でジャッジする人間であることを露呈している。

そして、私が自分の過去によって他人にジャッジされることを恐れているのもまた事実である。しかし、過去の選択が間違っていたかどうかは他人がジャッジする範疇にはない。整形に対してどんな意見を持っていてもそれはその人の勝手だが、その意見によって他人を不快にさせていい道理はないだろう。その人の一面を見て、安易に判断を下す人間でありたくないなと、自戒を込めてこのエッセイを書き記したい。