今、身につけられなくなっても困らないと思う色が何か聞かれれば、間違いなくピンクと答える。付き合い方がわからないまま、20代を折り返してしまった。
客観的に可愛いと思わないわけではない。自分でアクセサリーを作る時に選ぶこともあるし、友達のプレゼントを買う時に、これは可愛いピンクだと思うことももちろんある。
けれどどうしてか、自分の持ち物にピンクを選ぶことはない。
最後にピンクのものを身につけていたのはいつか、記憶を辿ってみた。事もあろうに、遡ること20年前、ランドセルだった。

くすんだピンクグレーのランドセルを、綺麗に6年間使った

私は両親の買ってくれたランドセルを使っていたが、自分で選んだわけではなかった。
選ばせたらこの色が良いだの、この形がいいだの言うだろうし、6歳の女の子がその時の気持ちで選んだランドセルを、しっかり6年間ちゃんと使うかなんてわからない。安い買い物ではない。両親はそう思ったのかもしれない。
控えめのステッチが入っていて、ふたをかばんの真ん中で止めるタイプの、くすんだピンクのシックなランドセルだった。しかし、その時から私はピンクが好きとは思っていなかった。
今となってはくすんだ色は流行りだが、その当時はちょうどカラフルなランドセルが流行っていて、おそらく自分で選んだであろう、水色や黄色や、可愛い形や色のランドセルを使っていた同級生を少しだけ羨ましく思っていた。
しかし、使ってみると気持ちは違っていた。なんとなく大人な色味で気に入っていたし、周りには似合ってると言ってもらえるし、自分でも似合っていると思っていた。

男の子の着るような服を好んで着ていた時期も、そのランドセルを使わなかったことはなかった。アトピーに悩み、顔も体も肌荒れで悩んでいた時、善意でかけられる「女の子なのに可哀想ね」という言葉にもやもやしたりもしていたが、このピンクのランドセルが私の中の「女の子らしさ」を保ってくれているように感じた。私はそのランドセルをしっかり綺麗に6年間使った。

ピンクのランドセルに頼らずとも、ちゃんと女性でいられている

それからだいぶ長い時間が経ったが、自分が身につけるものでピンク色を選ぶことは、今でもほとんどない。今でも頂き物にピンク色のものがあると(それが食べ物とか飲み物のパッケージだとか、消えものであっても)私の部屋にあると浮くだろうな、と考えてしまう。明るい色が嫌いではないが、私は私自身にピンクが合うとは今でも思えずにいる。

でもそれはある種、決意でもある。ピンクに頼らずとも、女性を保てると思えているからだ。
あの時、自分が女の子と認識してもらうためのお守りになっていたピンクのランドセルが無くても、私は今ちゃんと女性でいられている。意外と強い意志があることにも気付く。好きな格好をして、ベリーショートに髪を切って、白と黒に身を包んでも、私はしっかり女性を保っている。

その反面、これから歳をとっていくとして、ピンクが似合う女性になってみたいという思いもある。ピンクを味方にできることだって、絶対に強い。
まだまだ距離がわからずにいるが、いつか歩み寄ってみた時に、ピンク側から願い下げ?られないようにだけはしたい。