私のロールモデルは私のエッセイで二度取り上げた、同じ高校出身の友達だ。
住んでる地域も業種も職種も全く違うし、オフの過ごし方も生活リズムも全く違う。
四捨五入したら身長が150センチになるくらいしか共通点はない。
だけどどういうところがロールモデルかというと、”これならできそうだから”、”これなら続くかなって思ったから”という言葉たち。
”これならできそうだから”、”続きそうだから”については、ハッとさせられた。

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わたしは今の時代の20代として、色々な選択肢ができたからこその悩みにかれこれ10年くらいぶち当たってきた。
思えば、小学校高学年あたりから現実的な将来の夢を持つように言われ続けてきたような気がする。
七夕をはじめとして、½成人式やら、小中の文集やらで将来の夢を書かされてきたような気がする。
流石にプロテニスプレイヤーになりたいとか、ピアニストになりたいとか書けないから、”実現可能そうな職業”を書くしかなかった。
ちなみにわたしの将来の夢は、”ない”だった。
高校に上がると今度は進路選択とやらがある。
就職、専門、短大、大学などから選ばなければならず、それに伴い、”将来やりたいコト”を考えなければならない。
そう、15歳の時は”将来の夢”だったものが、16歳になると”将来やりたいこと”に姿を変えるのだ!

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私の”将来やりたいコト”は、”不明”だった。
一部の子は、保育士になりたい、看護師になりたい、この研究をしたい、などで大学を選んで行っていたけれど、とりあえず英語が得意だったのと両親の方針で文系の大学に進学した。
そして、18歳から19歳になり次はどうなるかというと、”将来やりたいコト”から”何をしたいか”に変わる。
私は”何をしたいか”というと、”わからない。誰か教えてください。どうやって決めたらいいんですか?誰に聞いたらいいんですか?何が正解なんですか?”だった。
大学生にもなると、留学したいとか英語の先生になりたいとかこの大学がこの分野の日本最高峰だからとか、”やりたいコト” を目指してきた子たちばかり集まっていた。
そして、中には起業したり、サークルを作ったり、休学して何かしてたり、バイトリーダーになったりなどなどして”やりたいコト”を前進させていた。
そして就活は始めるしで、やりたいことのない私は私は揉まれに揉まれた。
もうここまできたら逃げられない、私も”将来やりたいコト”を考えねば!
みんなを参考に探してみよう。
周りを参考にすると、やりたい!やりたい!あれもしたい!こうなりたい!お金が欲しい!これも好き!という前向きなモチベーションで探すと良さそう、ということがわかった。
よし、私も探そう。手がかりになるよう、私の過去を探ることにした。
頑張って自己分析した。人生グラフなんて何枚も書いたし、好きなことも嫌いなことも書きまくった。成功体験も失敗体験も書きまくった。ガクチカも、自己PRも、学業で力を入れたことも、長所と短所も、書きまくった。
それが、まちがいだった。

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私には、まずそもそも、”やりたいコト”なんてなかったのだ。
特に、何事も全力投球派でこだわるタイプの私には、やりたいこともないのに自己分析したところで、将来に何も繋がらない。
先日、やっと気がついた。私は何事に対しても全力投球なだけではなく、人生に対しても全力投球すぎていた。無理しすぎていた。
肩の力を抜いた仕事の探し方もしなきゃな。
そうしないと、私みたいな性格だと、もっと、もっと、あれも、これも、あっちも、こっちも、あの人みたいに、この人みたいに、ってどんどん求めて、どんどん自己嫌悪に陥りそうだから。キリがなさそうだから。
だから私は、この前あの友達が言っていた”これならできそうだから。”、”これなら続くかなって思ったから。”的な視点を持とうと思う。
私の独断と偏見だが、働き方が多様化してきて、やりたいことを追うのが美徳とされてる現代、受動態、能動態っていうとまるで受動態の方がマイナスな言葉に聞こえる。けれど、そういう要素も大事なんだなと、久しぶりに会った私のロールモデルに会って気付かされた。
とりあえず私は、1人でコツコツ系の仕事が向いてるからそっち方面に身を埋めて、まあ、”やりたいコト”は、いつか出会えるのを楽しみにしている。