「秋にしたいこと」というよりも、今の時点では「秋にしなければいけないこと」に気持ちは近いのかもしれない。
素直な欲由来のwant toではなく、どこか義務感に駆られたようなhave to。
ただこれをはっきり言葉にすると、「じゃあまりちゃんはやらなくていいよ」とまた夫に言われてしまいそうな気がする。そう言われるのは、嫌なのだ。夫には何度も伝えているのだが、決してやりたくないわけではないのだ。
何が私の腰を重くさせているかって、それは恐怖心だ。自分の鈍臭さと、テンパりがちな癖と、2度経験した不合格の実績が、その恐怖心を形づくっている。
前後したが、今は車の話をしている。ひいては、ペーパードライバーからの脱却に関する話でもある。
移動のための交通手段といえば、主に徒歩か電車だった私たち夫婦。ただ、理由はさまざまあるが、そんな我が家で車をお迎えすることになった。時期としては、今年の秋頃を予定している。
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約6年前に免許を取得して以来、私はほとんど運転席に座る機会がなかった。いわゆるペーパードライバーであり、運転のコツなんてもう何も覚えていない。
よって、まずは教習所でペーパードライバー講習を受け、その後、夫に助手席で監視してもらいながら、自家用車で少しずつ運転に慣れていくことを今秋の予定としてざっくり企てている。
あの大きな鉄の塊を動かすことに対して打ち震えているのは、長いブランクがあるから……だけではない。
冒頭でも少し触れたが、私は6年前に教習所に通っていた際、仮免許の技能試験で2度落ちている。合格者発表で自分の受検番号が呼ばれなかった時の動揺と絶望は、今でも忘れられない。2度目の不合格を突きつけられた際は、「きっと私には運転のセンスがないんだ」と大変やさぐれたものだった。
苦い記憶は、この不合格×2以外にもある。
仮免合格後のとある日、第2段階の技能教習での出来事だった。
その担当教官と当たるのはこの日が初めてで、「今日もどうか無事に終わりますように」と心の中で祈りながら、公道へ向かうためハンドルを握った。
私の運転技術が酷かったのかもしれないが、「どこ見て走ってるの?」「もっと左寄って」「今のタイミングじゃ遅すぎるでしょ」と、矢継ぎ早に助手席から飛んでくる言葉に、心のHPはみるみる失われていった。運転においても持ち前の不器用さを発揮していることは素直に認める。事実、仮免に2回も落ちていることがそれを物語っている。
ただ、これまで当たったどの教官よりも、例の教官は威圧感があった。
もう少し、もう少しでいいから、指摘や注意の仕方をマイルドにはできないものですか?そんなことをあの日は考えながら、子ウサギのように身を小さくして、こわごわハンドルを回し続けたものだった。
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ドライブを純粋に楽しんでいる人の姿を見るたび、「いいな」と羨ましく思う。
脱・ペーパードライバーを決意したはいいものの、果たして運転が楽しいと思えるレベルまで到達できるのだろうか。言うまでもないことかもしれないが、自信はまるでない。楽しい、とまではいかずとも、せめて恐怖心はなくしたいものだ。
ただ、「恐怖心をなくさなければいけない」と思っているから、have toの色合いが濃くなってしまっているのかもしれない。このまま運転の練習に突入してしまったら、変に肩に力が入ってなおさら上手くいかないかもしれない。
それに夫は比較的、強気でストレートな物言いをする人だ。例の教官のような圧はないにせよ、助手席の監視員となる彼は、あまりオブラートには包まないで横から言葉をかけてくるだろう。恐怖心だけに駆り立てられていたら、きっと彼の言葉にも怯んでしまうかもしれない。
改めて、「秋にしたいこと」を考えてみる。
ああでもないこうでもないとここまで書いてきたが、免許は一応取れているのだ。
その事実を、ゼロに等しい自信に半ば強引にくっつけて、そして肩の力を抜いて、ペーパードライバー脱却に臨みたい。
ひとつの場所に囚われず、いつでも、どこでも、自由に動けるように。より遠くへ。