私は恵まれている。だって、私の人生には常にやりたいことが溢れているから。だから、その中からどれか一つを選びなさいと言われると心底困ってしまう。それほどにこの人生においてやりたいことがたくさんあるのだ。しかし"秋にしたいこと"と限定されると案外パッと浮かばないものである。なんとも不思議だ。

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季節で考えると秋はとりわけ暑くもなく寒くもなく、なんとも丁度いい季節。外で活動するのも、家でゆっくりするのも、どちらも悪くない。一歩外に出ればそこには風情のある紅葉が広がっているし、家にいれば本を読むことも美味しいご飯にありつくこともできる。

そう、"秋"に限定すると何でもできてしまう。"秋"というのは人々を惑わすずるい季節なのだ。そんなずるい季節に何をするのか。まずはよく聞かれる3つの秋について考えてみよう。

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食欲の秋。残念ながらこれは私には当てはまらない。そもそも食べるという行為そのものがあまり好きではないのだ。これを言うと不思議がる人が大半だが、世の中ちょっと違う嗜好を持つ者もいるということで。それでも最近は友達や同僚、先輩とご飯に出かけることが増えた。これは私にとって快挙だ。

では次。読書の秋。拍手喝采。素晴らしい。これぞ私の人生。なくてはならないもの。なんて言ったってひとり暮らしのワンルームに100を超える小説を抱えているのだ。文庫本も単行本も、図録のような大きな本も。それらはすべて私の宝物。

そんな本と時間をともにする読書は至福の時だ。読書をなくしてこの人生はないと言っても過言ではない。しかしこれは秋に限った話ではない。年中問わず、いつでも本は私のそばにあるものだ。そうなるとこれも"秋にしたいこと"と限定するにはちょっと違うような気がしてくる。

最後は芸術の秋。どういうわけか私には、これぞ秋、という感じを受ける。もちろんどんな季節でも芸術というのは私の感性を高めてくれる。そして長年ピアノをやってきているが、特別秋に思い入れがあるわけではない。ただ、なんとなくそう感じるのだ。秋の穏やかな空気がきっとそう感じさせるのだろう。ではこれが私にとって"秋にしたいこと"の正解なのだろうか。そう言われるとそれも違うと思ってしまう。

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結局のところ、秋だろうが、寒い冬だろうが、雪解けの美しい春だろうが、うだるような夏だろうが、関係ないのだ。私は年中存分にやりたいことをやり、それで自分の人生を充実させている。だから特段秋になったからといって新しく秋らしいことを始めよう、とはならないのだ。

季節によってその季節らしい新しいことを始めるというのは素晴らしいだろう。そうして人生に彩りを加える人もいるだろう。しかし私はそうではない。日々の中に転がる好奇心を拾い集め、そのときそのときで心くすぐる物を手にとってゆくのだ。それで良いのかと聞かれれば、きっと私は良いと答えるのだろう。だって、私にとって秋とはそういうものだから。