「あ、わたし飲めなくて」

グラスにお酒を注ごうとスタンバイしている彼女にできるだけ申し訳なさそうな顔を作った。

真正面に座る彼女の綺麗な顔が、一瞬クシャッと歪んだのをわたしは見逃さなかった。隣の女性と意味あり気に顔を見合わせた後にこちらを向き直った彼女は、顔に笑顔を貼りつけたまま「そう…」とだけ呟いた。

その座の全員が異口同音に「乾杯!」と叫んで、あちこちからグラスを軽く合わせる音が聞こえてくる。わたしも笑顔を作って真正面の彼女に向かってグラスを差し出した。しかし、彼女は、わたしと視線を一切合わせようとしない。話している間は欠かさずアイコンタクトをしてきたというのに。

グラスを持った手が忙しなくあちこちを行き来する中、わたしは誰とも乾杯できずにちびっと手元のウーロン茶を一口飲んだ。ふいに彼女が自己紹介で酒豪だと得意気にアピールしていたことを思い出して、内心失敗したと居心地の悪さを感じた。

夜が深まるにつれて、酒宴が盛り上がりを見せた。店の従業員は新酒の瓶を抱えて、忙しげに立ち回っている。

◎          ◎

最初は会話の渦中に居たはずのわたしはお酒を断ったことにより話題の外に放り出され、今となっては疎外感しか感じない。
「こういう飲み会って初めて?」
唐突に真正面の彼女が話しかけてきた。酔っているのだろうか。少し絡む感じだ。

「あ、周りも飲まない人が多くて。サークルも入ってなかったのであまり…」

心の準備が出来ておらず、語尾を濁した。
「へぇ…」

変な間があり、ふと顔を上げると彼女はまた顔に貼り付けたようなニンマリとした笑みを浮かべていた。

その笑みに黒い物が見え隠れしているように見えて背筋にぞくりとした寒気が走った。
「はなさんも飲まないとダメだよ〜」
はなとはわたしの名前だ。隣にいた知人らしきスーツを着た細身の男性が、ほろ酔い口調で参戦してくる。

「ちょっと」
彼女は男を肩で小突いたが、その顔にはどこか皮肉めいた笑みを覗かせている。
「ははは…」なんとか愛想笑いで場を取り繕ったが、心の中は今すぐにでもこの場から逃げ出したい暗い気分に支配されていた。

◎          ◎

救いを求めて隣に座る母ををちらっと見るが、「このお酒美味しい〜」と目尻の皴をほころばせて幸せそうな顔でグラスを飲み干している。わたしのSOSに全く気づく気配はない。

なんとか耐えなくては。この会は父の取引先の相手と、その関係者が出席している。相手は主催者の奥さんだ。ビジネスが上手くいったらわたしにも利益がある。家族でお呼ばれするときは、きまって大きなビジネスチャンスのときだ。

「わたしが若い頃は無理にでも飲んでいたの」

にこやかに私に話しかけているが、わたしの前の席に座っている女の顔にははっきりと悪意が浮かんでいた。
「飲んでいたら強くなったの」
瞬きもせず、二つの大きな瞳が罪を問うようにじっとこちらを見つめている。

「…飲めたらいいなとはよく思います」
視線を彷徨わせながら、そう言った。いや、そう言わされてしまった。
「うん、そうよね。そうしなさい」
わたしは何も言えず、気づくと自分の意思とは反対に愛想笑い浮かべていた。

彼女は満足そうに他の人と話すために席を立って、わたしの視界から消えた。

飲み会は無事終わり、父は上機嫌で母に饒舌何か話しかけている。どうやら今日の飲み会は成功したらしいが、あまり喜べなかった。

◎          ◎

それから数日、飲みの席でのことを思い出してはその度に落ち込んだ。
「お酒が飲めない」
数ヶ月前に九州の実家に戻ってきたことにより、それはコンプレックスになった。この九州で暮らす上では、お酒が弱いことは致命的だと感じてしまう。

飲めるってそんなに大事なことなのだろうか。自分が苦しい思いまでして相手に合わせることは大切なのだろうか。周囲の雰囲気に合わせようとして、アルコールで命を落とす人も毎年沢山いる。

お酒が苦手なのは体質にも関わることなので、世の中にはお酒に強い人もいれば、弱い人だっている。しかし、お酒に弱い人が、無理をして飲む世の中が当たり前だとわたしは感じる。みんな疑問は持たず、マナーだとか口を揃えて言う。

しかし、本当にそれでいいのだろうか。お酒が弱い人は、毎回の付き合いで参加した飲み会で我慢し続けなければいけないのだろうか。そんな疑問を持ちながらも、アルコールに強くなる為の訓練を始めた方がいいのだろうかと迷う気持ちもあり、わたしは日々悶々としている。