中学2年生だった4年前。中学校生活にもすっかり慣れ、私は楽しい友だちと学校生活を満喫していたが、中高一貫校だったこともあり、見事に中だるみ状態になっていた。勉強も適当に済ませたり、学校に行くのが面倒くさすぎて早く週末にならないかと月曜の昼から考えたり、1,2時間の科目が嫌いな科目の日の朝は遅刻理由を考えるようになり、とにかく学校が嫌いだった。
その時の口癖は「早く金曜の夜にならないかな」だった。
そんな私を変えたのがコロナによる休校期間だった。
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相変わらず学校が面倒くさかった私にとって休校は夢のように感じ、最初は学校に行かなくても良いという檻から脱出できたかのような開放感にひたっていた。普段は見れない朝のテレビ番組を見たり、スマホゲームを始めたり、お菓子を食べては寝たり、今振り返るとかなりだらけた生活を送っていたが、その時の自分はそれで満足していた。
だが、次第にその生活に寂しさを覚えるようになった。
それはただ単にこの生活に飽きてきたということもあるが、LINEで長く会えていない友だちと会話をしても、ビデオ通話をしても、オンライン授業で友だちの顔が見れても、その時はとても楽しいのだが、終わった途端にぷつっと糸が切れたような感覚になり、なにかが物足りなく感じるようになった。
今考えれば、物足りなく感じていたのは人と会った時に感じるぬくもりや温かさだったのかもしれない。
文字と声だけで会話をすることに限界を感じていたのだ。
友だちと会いたい、友だちとは学校で会える、そんなことを考えていたらいつの間にかこんなことを思うようになっていた。
学校に行きたい。
今まであれだけ学校が面倒くさかったのに、こんなに学校に行きたいと思う日が来るとは思ってもいなかった。
毎日学校からのお知らせを待ち、次の登校日がいつなのかずっと考えていた。
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そしてついにその日は来た。
久しぶりの学校。久しぶりに直接見る友だちの笑顔。
「何してた?」
「ずっと寝ちゃった!」
「まじ絶対太ったんだけど!!!」
休校期間が終わった最初の登校日に学校に行った時は、久しぶりに会った友だちと興奮して終始たわいもない会話が止まらなかったことを鮮明に覚えている。その時の友だちの目はいつも以上にキラキラしてみえた。
私はその時にはじめて目の前にいる友だちの存在の大きさを感じた。いつも目の前にいることが当たり前だった友だち。でも、そんな日常は当たり前ではないのだと。
実際に人と会って話すことは、いつどこにいても会話ができるSNSでのやり取りでは得られない満足感と幸福感を感じたのだ。
この時から当たり前ではない楽しい学校生活を今まで以上に1日1日、大切に噛み締めて過ごすようになった。
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あれから3年。あの時中学2年生だった私はあっという間に高校3年生になり、受験生になった。
高校生活も残り少ないせいか、私の「学校に行きたい」という気持ちはあの時よりもさらに増した。今この一瞬を全力で楽しみたいと思うようになった。学校に行けば楽しい友だちがいる。学校に行けばみんなと話せる。朝ベッドから起きたくなくて学校に行く気分ではない日も、学校を休みたい気持ちよりも、とりあえず学校に行って友だちと話したいという気持ちが最終的に勝ち、自然と足が動く。そう、私にとって友だちはビタミンのような必要不可欠な存在なのだ。
この4年間で私の学校に対する気持ちはとても大きく変わった。
長い休校期間によって失った学校生活はあったが、それを通して、より友だちと過ごす時間が貴重なものだということ、そしてそんな時間を大切にしようと思うきっかけになった。
夏休み真っ最中の今、受験勉強をしているとふと 学校に行きたいと思う瞬間がある。
まるで小学1年生の時に夏休みが早く終わらないかと胸を弾ませたように。