SNSで流れてくるインフルエンサーの投稿を見ても、もう何も感じなくなった。

「羨ましいな」「あの人みたいになろう!」「凹む」どれをとっても今の自分には当てはまらなくて、「ああそうですか」くらいにしか感じず、心に栄養が行きわたっていないと寝起きの頭でぼんやり思う。

喜怒哀楽がきちんとあった過去の自分は、ある意味元気だったのかな?

遮光カーテンを開けると、まばゆいくらいに眩しい朝日が目に入ってきて、思わず顔をそむける。「Step1 朝起きたら太陽を浴びる」。いろんな雑誌やコラムに書いてある心地良い朝の過ごし方。その次は白湯を飲めば良いんですよね、はいはいと歯磨きをしながらケトルに水を入れて湯を沸かす。

できたら後30分でも早起きをして、珈琲とパンなんか食べられたら最高なんだろうけど、なかなかベッドから出られずにギリギリまで寝てしまう。散らかったままの部屋を横目に急いで家を出た。何年こんなことしてんのかな。

思えば喜怒哀楽がきちんとあった過去の自分は、ある意味元気だったなと思う。仕事に忙殺される日々を生きていたら、いつの間にかこんなことになっていた。

心の声に耳を傾けずにやってきた代償だ。みんな頑張っているから私も頑張る。それが当たり前だと思っていた。当たり前に生きていたら、心はすり減るものなのか。自分に問いかけても答えは出ない。そして、いつの間にかそんな問いかけすら忘れている。

「元気になる方法」に縛られた私は、どんどん元気じゃなくなっている

元気の定義って色々あるけれど、私は「感情が動くかどうか」だと思っていて、感情の起伏が乏しい最近の私は完全に元気ではない。元気ではないから、元気が出るような雑誌やコラムがあるとなんとなく読んでしまう。

「運動すればいいよ。運動してる人ってほら、みんな元気じゃん」そうあっけらかんと彼に言われた日の夜、「運動 元気」などとネットで検索をする。すると「運動がもたらす〇つの効果」「運動がメンタルヘルスに与える〇〇な影響」出るわ、出るわ。

まあ分かってはいたというか、聞いたことはあったけれど重い腰が上がらずにここまで来てしまった。とうとう運動する時が来たか、そんなことを考えるも、他の手段はないかさらに検索を続ける。

寝る前のベッドの中、ブルーライトに照らされた不健康な自分の顔を想像してうんざりする。Stepの最後の方に「就寝前は携帯を触らない」とか書いていた気がする。ため息をついて携帯の電源を切り、目を瞑った。元気になる方法に縛られた私は、どんどん元気じゃなくなっている。

仕事を休み昼過ぎまで寝た。なんだか頭がスッキリして気分が良かった

ある朝ふいに「なんか無理」と思い、仕事を休んだ。感情の起伏が乏しい私に仕事を休む罪悪感なんてなく、ただただベッドの上で横になっていた。

気づくともう一度眠っており、昼過ぎに起きた私の頭はいつになくスッキリしていて気分が良かった。お風呂に湯をはり、昼から湯船に浸かった。湯船で好きな本を読んだ。汗をかくことが気持ち良かった。

お風呂上り、クーラーの効いた部屋でビールを飲む。明るいうちから飲むビールは特別感が合って良い。ホップとアロマのせいかふわりと気持ちが軽くなり、ごろんと仰向けになった瞬間、あれっと気づく。なんだか心が元気になっている気がする。

なんだ、案外簡単な事じゃないか。こんなことで良かったんだ。自分に合わないStepばかり踏んでいたことがおかしくなってちょっと笑う。自分がしたいことを、したい時にするだけ。そして、会いたい時に会いたい人に会えたらもっと……。

「今日来る?」そう彼にメールを送ると、「あと1時間で仕事が終わるから行くね!」とすぐに返事が来た。元気になりかけている心がドクドクと血を巡らせている。

ベランダに出ると夕日が真っ赤に染まっていて、その眩しさが希望のように降り注いだ。心の中で「もう大丈夫だ」と肯定して、目を瞑る。ぬるい風は頬をかすめる。クーラーの効いた部屋で彼ともう1本ビールを飲もう。小さな未来の楽しみが見えた私は、もうきっと元気だ。