このままでは違う自分になりそう、と感じる社会人4年目

年末、私はもやもやを抱えていた。
仕事をするようになり、自分は変わった。
昔はポジティブで楽観的で、喜怒哀楽が全面に出る明るい人だった。
それがいつの間にか、神経質で臆病で物静かで冷静な人になってしまったと。
この事実がどうしても受け入れられなかった。
このまま仕事を続けると、もっと違う自分になってしまいそうで……。

私は大学生まで地元で過ごし、社会人のタイミングで上京した。
4年間、営業職として社会の荒波に揉まれながら、目まぐるしい日常を過ごしている。
社会人としてちょうど4年が経ち、大学生と同じだけ社会人人生を過ごしたことになる。
過去に縋るのは好きではないが、正直今の自分が嫌いだ。大学生の自分がとてもキラキラしているように見え、大学生に戻りたいと心から願ってしまう。大学生の自分と社会人の自分が全く反対の場所にいるようだ。

そんな気持ちが大きくなった頃、長期休暇で帰省することになった。
今回は久しぶりの帰省ということもあり、卒業後会えていなかった大学時代の友達にも声をかけ、会う機会を多く作った。
そこで自然と最近はどう?今の仕事は?東京生活は?という話になり、今の悩みを話すことになった。

友人からは「変わらない」。新しい自分が出来上がったのかも?

「最近、性格がすごい変わった気がするんだよね……」
「ん〜そうかな?久々に会って話しているけどYUIKAは全く変わらないよ?」
意外にもみんなから帰ってくる言葉は「変わらない」だった。
「そりゃあさ、大学生は勉強が中心だし、社会人では背負う責任の重さが違うもん。決断が慎重になるのも当然だよ。仕事において、慎重になったり、神経質になるのは普通で、むしろ根本の性格はほとんど変わってないと思うよ?」
「会社だと、思った通りの感情を出せば、めんどくさい人、子供って扱われること多いよね。だからだんだん自分の感情を抑えることを覚えていくんだよ」と。

確かにその通りだ。
「性格が変わってしまった」のではなく、「社会人としての自分」が新しく出来上がったのかもしれない。
「私も自分最近変わったなって思ってた!」と多くの友達が共感してくれた。
社会人4年目って、社会とかを少し知ってきて、すごく考える時期かもしれない。たぶん大人の階段を登っているところなんだと思う。今までは20歳を超えた、いわゆる大人だけど中途半端な大人。歳だけ大人。

人生経験を重ねて冷静になれるのは、心にとって健康だろうか

去年、自分の中でこれまでにない苦痛を感じる出来事があった。
違和感を感じ、変えなければと必死に考え、行動をした。しかしどれだけ足掻いても世の中には変えられないものがあるという現実を突きつけられた出来事であった。
結果、次また同じ壁にぶつかった時、そういうこともあるよねと流せるようになっている。

つまり大人になるイコール悟りを開くことなのではないだろうか。
さまざまな人生経験を踏むことで、いろんな角度から物事を捉えることができるようになってくる。結果冷静に判断をすることができるようになる。
腹立たしいことが起こったとしても、そういうこともあるよね、そういう人もいるよね、そういう考え方もあるよねって。そうやって怒りを不用意に出すことなく、冷静になっていく。そうやって上手く生きていく。

でもそれって反対に喜怒哀楽が薄くなるとも言えるのではないだろうか。
それは心にとって健康なのだろうか。
私はその都度湧き出る感情を風化させたくない。
まずは出す。それから冷静な判断を下していきたい。
自分に足された社会人のエッセンス。
次の社会人4年間は、それを上手く組み合わせた新しい自分になりたい。

大人の階段の一段下にいる自分から、一段上がった自分へのメッセージ。

追伸。
こういう悩みが生まれるってことは、今を全力で生きている証拠だ。