2019年10月、専門職を目指し大学院生をしていた私は、学生結婚をした。働きながらの学生生活は大変だったけど、愛する人と共に歩む道はとても充実していた。
2020年4月の結婚式に向けて、ウキウキしながら準備を進めていた年末。感染症のニュースに嫌な気持ちを抱きながらも、まだまだ遠い世界の話だと高を括っていた。
「新型コロナウィルス」年が明ける頃には、日本中の皆がその名前を知りつつあったが、少しずつ迫りくるその足音に、まだまだ耳を塞いでいた。

しかし月日が経つにつれて、見ないふりをすることはできず、私たちの晴れの日ですら、延期せざるを得ない状況となった。
充実していた大学院生活も、誰とも顔を合わせることができなくなり、ラストの学生生活は重苦しい雰囲気の中始まるしかなかった。
その重苦しさの中、私の大好きな祖母もどんどん体調を崩していった。悲しい気持ちと戦いながら、なんとか元気を出してほしいとの願いも含め、2020年11月に規模を縮小して挙式を行うことにした。

今でも鮮明に思い出せるくらい幸せな結婚式だった。

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でもそれが終わってすぐ、祖母はこの世を去った。コロナ禍の中では最後の瞬間にずっと寄り添うこともできなかった。せめてもの救いは、たった5分のお見舞いの時に、うっすらと目を開けてくれた祖母と目があったこと。
卒業のお祝い会もままならないまま、私は最後の学生生活を終え、就職のため上京した。
収束しないコロナウィルスに翻弄されながらの初めての社会人は、コミュニケーションも取りづらく、慣れない土地ということもあり、陰鬱とした雰囲気ばかり感じていた。

主人との結婚生活は穏やかだったが、気がかりだったのは子どものこと。
私は以前から婦人科系の病気が多く、直近では子宮頸がん前癌状態になったこともあった。もしかしたら妊娠は難しいかもしれない、と言われたこともあった。
それならと2人で歩む道も考えていたが、母になる友人の姿を見て、私にも憧れはあった。
頑張ってみようと主人にも背中を押され、妊活を始めた直後、幸いにも妊娠が判明した。

コロナウィルスの収束の兆しは見えず、感染の拡大は甚だしかった。
終わらない悪阻、感染の恐怖、脳貧血による意識消失発作等ハプニングもたえなかった。
この時期に妊娠したことを責められているような感覚に陥ることもあったし、実際にSNSではそのようなコメントが見られることもあった。
そして2022年夏。前陣痛が3日間続き、眠れない中での破水。コロナウィルスによって立ち合いも面会も不可の中、壮絶な出産だった。ひとりでの戦いは孤独だった。最終的には胎盤剥離による出血で、緊急帝王切開となったが、無事長女を出産することができた。

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そして2023年8月29日。私はママ1歳を迎える。もちろん愛娘も1歳になる。
泣き、笑い、寝返り、声をあげていたかと思えば、ずりばいをして、ハイハイをし、おすわりをして、離乳食を食べるようになり、立って歩くようにもなった。
「ママ!」と呼ばれる声は可愛くて、愛おしくて、なにものにも代えがたい。
学生から社会人へ。名字もわり、子から母へと変わった4年間。
窮屈な4年間だった。でもだからこそ、愛する人、大切な人たちと面と向かって会えること、抱きしめるぬくもりを感じられること、触れ合えること。それがこんなにも愛おしいことに気付けた。

大きな変化の4年間。
長いようで短く、思い返せばまだまだくっきりと思い出せる期間。
苦さとくるしさと悲しさと。一方で幸せと喜びと楽しさも感じた4年間。
きっとこの4年間だけじゃない。これからの4年間も色々なことがあるだろう。
でもこうやって思い返してみれば、きっとたくさんの思いがあふれる毎日だから。
大事に大事に育てていきたい。毎日を大切に過ごしたい。
そんなことを思えた4年間の変化。