私はエッセイとはこうであるとはっきり断言することができない。なぜなら私のエッセイによる周りの反応を、私はまだ確認できていないからだ。

今年の2月に私はある雑誌のエッセイ作品の募集に応募したところ、なんと大賞を頂いた。エッセイを書くことはほぼ初めてであり、いきなり大賞を受賞したのでかなり驚いた。
私の文章が公になるのはこのテーマの締切が過ぎた数日後のことなので、とても残念だが今回はエッセイ自体を紹介することができない。

従って、エッセイを書いて何かが変わったという変化も今のところはあまりない。
そこで今回はエッセイ発表前だが、エッセイによって得ることができたエピソードが1つあったのでそれについてお話しようと思う。

頭を悩ませる自己PRも文章力で勝負。大賞を取って持てた自信

私のエッセイが大賞を受賞した知らせを受け取ったのは4月のこと。その2ヶ月後、つまり6月に誌面で結果が発表された。
その頃、大学のゼミ決めの時期に差し掛かっていた。私の大学ではゼミ面接というものがあり、第3希望までの先生と1対1で面談をしなければならなかった。Zoomによる面接なので直接対面はしなかったが、普段授業動画でしか見ない先生といきなり直接話すというのはかなり勇気が必要だった。

私は1番最初のゼミ面接が第1希望の先生であった。その先生は事前に資料を作成し、10分程度スピーチを行う課題を志望者に課していた。用意しなければならない資料のテーマは計3つあったが、その中の1つに「自己PR」という項目があった。

自己PRというと多くの人が頭を悩ませるテーマであろう。しかし私は断言できることがあった。そう、私の武器は文章力である。なぜならエッセイコンテストで大賞を頂いたからだ!と、胸を張っていた。

前までだったらあまり強く言い出せなかったかもしれない。だが、私は大賞を取ったのである。他者に、しかも文章のプロに認められたということは多少自信に思ってもいいのではないか!と当時の私は考えていた。

面接本番で自己PRを聞いた先生は、作品発表を楽しみにしてくれた

いざ、面接本番。自己PRは1番最後の項目に紹介する項目にした。

「ということで私の1番の武器は文章力であると考えています。最後に蛇足かもしれませんが、実はこの間〇〇のエッセイ作品応募に応募したところ、大賞を頂きました」
「あらっ!すごいじゃん!とても有名な雑誌だよ!それっていつ出るの?」
「作品自体の発表はいつなのかまだわからないのですが、結果は〇月号に出ました」
「おめでとう!詳しいことがわかったらまた教えて!」

どんな内容か聞かずに、作品発表がいつなのか聞いてくださった先生の優しさが身に染みた。私の文章を楽しみにしてくれている人が少なくとも1人いる。その事実がまた私の自信にも繋がった。

エッセイは私の武器が人に認められるものであると証明してくれた

最後に「稲荷さんにはこれからたくさんコンテストに応募してもらいますからね」と念押しをされた。その後、ありがたいことに私は第1希望のゼミに入ることができた。
先日、雑誌掲載の最終稿を頂いた。プロの編集者とはやはり素晴らしい方である。私が深夜テンションで書いた文章が綺麗に整えられていた。

少しカッコつけて書いた表現が見事に削除されていて少し笑ってしまったが、同時に整えられた文章を見て私の未熟さを突きつけられたような気がした。
エッセイがどんなものなのか私にはまだわからない。しかし、エッセイは私の武器が人に認められるものであると証明してくれた表現方法だ。

私の武器は文章力である。エッセイは自分が体験したことを綴る表現だ。自分の経験と向き合うことは少し恥ずかしいかもしれない。しかし、経験が武器になっていく感覚はとても楽しい。これからは私の武器を鍛えるために私はエッセイを書き続けよう。
まずは数日後に発表される私のエッセイを読んだ先生の反応が楽しみだ。