広島の田舎のスーツ屋で働いていた父はウチで帰りが一番遅かった。20時に帰宅した父は、大きなダイニングテーブルに並べられた夕食を食べる。その隣には必ず、ご飯を食べ終えた後の母が居た。わたしは、父が家事をしているところを見たことがない。冷めた夕食も、電子レンジで温めるのは母だった。

父がキッチンに近づくのは、5リットル程の大きな焼酎を手にとる時だった。冷蔵庫の自動製氷室から氷を取り出す。ミニスコップで掬う氷同士がぶつかる不快な大きな音。10年以上も前の記憶だけど、鮮明に思い出せる。毎晩のことであったからだ。真っ赤な顔で、焼酎の水割りを作っていた父。コップの半分は焼酎で占めていた。母は、いつも焼酎の量が多いと隣で怒っていた。

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父が作った焼酎の水割りを薄める日も多くあった。母の作る焼酎の水割りはコップの4分の1程度。「こんなんじゃ味がせんわあ。」といつも父は不満そうだった。22時、母が眠るのは早かった。母が眠った後、こっそりと自分好みの濃いめの焼酎を作って飲む父。わたしは母に言うことはなかったが、気づいていたと思う。わたしと父がコミュニケーションを取るのは、母が眠った後の時間が主であった。焼酎の水割りがいつもテーブルに置いてあった。特別なことを話すわけではない。父は学校のこと、友達のことをわたしに聞いていた。

ウチは、父、母、祖母、姉、わたしの5人暮らしだった。男ひとりの父は肩身が狭かったのではないだろうか。わたしは、幼少期ガマガエルを捕まえて飼おうとする程にわんぱくな性格であったし、メンズライクな服装を選んだ。男に生まれてきた方が父は寂しくなかったのではないかと思い浮かぶこともあったし、それがわたしに男の子のような振る舞いをすることを助長させた。ウチは主導権はいつも女側にあったし、基本的に父は文句を言わない穏やかな人だった。例えば、テレビのチャンネルの主導権は絶対的に、姉にあった。

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姉とわたしは高校卒業ともに一人暮らしをさせてもらった。年に1.2回、わたしは広島の実家に帰省する。父が焼酎を飲むのは変わらなかった。母が眠った後の、父と焼酎とわたしの時間。もちろん、父は好きなチャンネルを見れるようになっていた。カープファンの父、テレビはいつも野球の放送がかかっている。わたしは野球に興味はなかったがただぼーっとテレビを見ているのだった。

その内、茹蛸のように顔を真っ赤にした父は、リビングのソファで大きないびきを掻いて眠る。それを起こすのは、昔からわたしか祖母であった。今でも、焼酎について母は言う。「母さんから言っても聞かんから、みいちゃんから言って」いまだに、濃いめの焼酎水割りを作っているのだろう。父の健康を心配する母。当時、中学生のわたしには、父と母がこのやりとりを楽しんでいるように見えた。

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白髪が増えて背中や顔が丸くなった父。お酒を飲める年になって、父とお酒を交わす、いつになく嬉しそうな父。わたしと父の笑った顔は昔からとても似ている。わたしは自分の笑った顔は好きでない。父の笑った顔は好きだった。似ていると言われれば、それを嫌がったが、本心からではなかった。

父は今年定年退職する。スーツ屋の稼ぎはそれ程多く無かったと思う。仲の良い父と母の元で育てられて本当に良かった。愛情の深い人間になれたと思う。私も姉も、早く親元を離れて30歳近くなっても結婚もしそうにない。周りを見ても半人前の私、親不孝だろうか。
もうすぐ、定年退職後の家族旅行が待っている。どんどん年老いていく両親を見るのは怖いな。父に焼酎でも持って帰ろうか、母には怒られるかな。