当たり前にあったはずの、対面でのコミュニケーション、平日の疲れを紛らわす土日の遊び。そういったものが、在宅勤務や外出自粛によって私から取り上げられていった。
そして気づいたとき、目の前に残ったものは、家でパソコンを相手にする孤独な仕事。
明らかに人との接点が減り、人の顔を見ることがなくなり、こんなにも人と会わないことが自分を孤独に、そして寂しくさせるのかと初めて知った。
いかにこれまで、自分が周りの人に生かされていたかを思い知った。それと同時に、他人軸で、周りの目を気にして、周りの人のために生きていたことも悟った。
他人からの評価を基準にしすぎて、自分がどうしたいかが分からない生き方をしていた。

コロナ禍でも側を離れず手元に残ってくれた仕事を前に、私は私と対峙するようになった。
趣味や娯楽を奪われた今、生きがいを見出すために、仕事を充実させるべきではないか?
もっとやりがいを持って、自己成長ができるような仕事をしたくないか?
私、一生このままで満足なのか?
と自問自答を重ねた。

私の答えは、「変わりたい」だった。

もっと人の役に立っていると強く実感できる仕事をしていたい。
もっと自分にできることを増やしてスキルアップをしていきたい。
もっと意欲的な人たちと意欲的に働きたい。

自分がどうしたいのかが、どんどんあふれ出していった。
初めてここまで、自分の心の声に素直になれた。

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あれから3年が経った今、上京、転職、無職期間を経て現在に至る。
そして、来月からまた新しい転職先でのスタートを切る。環境も、業種や職種もガラリと変え、思い切って飛び込んでみた世界には新しいものしかなかった。
そして新しいものに触れれば触れるほど、自分の中に眠る価値観や欲求が目覚め、さらに新しいものへの興味へと繋がったり、自己理解へ繋がったりして、可能性の扉がバタバタと開かれていった。

きっと、自己理解や自己実現の悩みは尽きない。
いろんな道を経験して、トライアンドエラーをたくさん経験して、少しずつ自分の歩みたい道が出来上がっていくのではないかと私は思う。
そんな、歩みを一歩進めるきっかけを、コロナ禍は私にプレゼントしてくれた。
もっと自分を見つめなさいと、そう言われた気がした。

きっかけはどこにでも転がっている。
コロナ禍は、強制的な大きな変化が目に見える形で訪れたため、私はそれをきっかけとして捉えることができた。
ただ、大きな変化でなくても、目に見えなくても、きっかけは常に周りにたくさんあると私は思うようになった。

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そんな風に考えられるようになった今、気が付けば、ポジティブ思考ができるようにもなっていた。
辛いこと、悲しいことなど、生きていれば様々なことに直面するわけだが、そういったことも何か私に伝えたいメッセージがあって起こっているんだとか、多分今はこの道に進むタイミングではないんだとか、そういう風に物事を前向きに受け止められるようになった。

コロナ禍というのもまさにそうだ。
ネガティブなものでしかなかったものが、いつの間にか自分にとって、次の段階へ進む良い影響をもたらしてくれるものになっていた。

私が私として生き始めることができた、そんな原点であるコロナ禍。

心の声に耳を澄ましながら、これからも私らしく歩んでいきたい。