私は二十九歳女、北の大地でひっそりと活動している、しがないwebライターだ。
私は小さい頃から変に正義感の強い人間で、警察相手にも「敬語を使っていただけますか?」などと盾突くくらいプライドが高い。そんな私が中学生の頃、クラスメートに「昨日ビール飲んだ~」みたいにイキっている奴がいた。すると否応なく私の無駄な正義感スイッチはオン!「でもお酒って二十歳からだよね?カッコいいと思ってんの?」と優等生ぶりこくのだった。
その時はそうだった。だって、お酒は二十歳になれば必ず飲める。それまで我慢すれば良いんじゃん。そう固く信じていたのだ。

◎          ◎

だが現実はそうではなかった。
高校生に上がった私は、毎日寝不足になるくらい無理をして進学校に入学。すると私の少ない脳みそでは足りないくらいの勉強量がそこでは待っていた。しかも、私自身の少々周りとずれているところや不器用なところ(いわゆるコミュ障である)がクラスや部活で問題視され、仲間外れになってしまった。そして不登校になってしまい、うつ病を発症してしまったのだ。

このうつ病という病気、現在も進行形で、なかなか私の中で消えてくれない困ったちゃん。治ったー!と思える日が、高校生の時から三十路手前の今日まで、一度も訪れないので、自分で言うのもなんだが悲しいものだ。さらに困るのが、そう、抗精神薬を飲んでいること。お金はかかるわ、毎日朝昼晩十種類以上も飲まねば、自分自身を保てないという、若くして切ない十字架を背負ってしまったわけである。
そのため、二十歳になれば自動的に飲めると思っていたお酒を、代わりに薬を飲んでいるせいで、私はまだ一度も口にしていない。なんという人生の楽しみの損失。なんという悲しい運命。大学の飲み会でも、周りがお酒を飲んでわちゃわちゃしてる中、私だけはやんわりとお酒を断って自分だけジュースにしたり、ビールのCMに出ているタレントに勝手にイライラしたり、日本酒の集まりに私だけ参加できなかったり、「私だって大人なんですけどーーー!!!」と叫びたくなる時も多々あるのだった。

◎          ◎

そんな私だが、ある日救世主が現れた。それは「ノンアルコールビール」の存在である!これなら私でも飲んでも良い奴やん!と、さっそく近くのスーパーで母親に買ってきてもらい、飲んでみた私。その感想は……。

「う……。に、苦手……」だった。そう、ノンアルコールでもノンノンアルコールビールでも、私はビールが苦手なたちなのであった。まあ、本物のビールの爽快感を私は残念ながらしりゃあせんが、中学生の時にアルコールのパッチテストをした時点で反応が色濃く出ていたように、要するに私はアルコールとは縁がない人生だったというわけだ。
しかしそこで諦めないのが蝦夷っ子の私である。ノンアルコールの飲み比べサイトを調べたり、ノンアルコールビールカクテル「モクテル」を自分で作ってみたりと、色々美味しい飲み方を探っていったのだ。

最近では、飲酒運転撲滅の流れを汲んでか、ノンアルコールビールを勧める風潮が強い。それはとても良い傾向だと私は思う。飲酒運転が少しでも少なくなるのもそうだし、なによりお酒が飲めない人がお酒の味を体験でき、飲める人と一緒に楽しめる世の中になってきているということだからだ。
モクテルに味をしめてか、私はそれ以来ネットで映画を観ながらノンアル飲料を飲みつつ、おつまみをつまむのが晩の楽しみの一つになった。アルコールの代わりに薬を飲んでいても、ノンアルコールならいくらでも大人の味を楽しめるのだ。形は若干違えど、これこそ私のお酒との距離感であり、大人の姿ではないのか?そうやって私は自分自身に言い聞かせながら、酔わないはずのノンアル飲料に、今宵も酔いしれるのである。