この四年間、出来事だけでもさまざまなことが起こった。
コロナウイルスの影響で緊急事態宣言が出され、外出を制限された。私はその当時、大学生だったが大学で対面講義を受けることができず、一年間オンライン講義を受けた。友人と学食を楽しむことさえできなかった。
大雨での災害も多かったし、夏は暑すぎて連日熱中症になる人の嵐。ウクライナで戦争が始まり、たくさんの人が亡くなった。
四年間に起こった出来事はとても語り尽くすことができないほどだ。
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私の身の回りでもいろいろと変化が起きた。
私の友人は大学を卒業後、就職し働いている。私は大学院に入学し、学問を続けている。
でも、私はその変化に違和感を持ってしまう。
「自分は大して変わってはいないのではないか」と。
学びの場は変わったものの、それ以外に私には大きな変化がない。就職した友人の方がどんどん変わっているような気がする。
就職したことで新たな人間関係がスタートした友人たち。上下関係や顧客など多くの人たちと接することが多くなったそうだ。
また、資格をたくさん取らないといけない友人は、仕事の後に毎日勉強をしているらしい。
今の私には到底考えられないことを友人たちは、やすやすと熟しているように見える。熟すにも努力が必要だが、友人たちは周囲の変化を受け止めつつ、生きている。
だから、私はなおさら「自分は大して変わっていない」と感じてしまう。周りの友人たちの関係だけが変わり、私自身は何も変わっていないのだ。
私は学生生活の延長線のように進んでいるが、友人たちは別世界の新しい場で黙々と少しずつ成長している。
この差は一体何なんだろうか。
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ある時、ある友人が言った。
「そろそろ結婚とか考えないとなぁ……子どもも欲しいし、キャリアアップもしていきたい……家庭と仕事を両立したい」。
私は生ビールを片手にその言葉を聞いていたが、私と友人の意識の差に正直驚いてしまった。
私は結婚なんて考えたこともないし、今が楽しければそれで良い!という短絡的な考えの持ち主だ。一方、友人は将来について慎重に考えているようだった。
私は思わず「20代前半なのに何で結婚のこととか考えてるん?」と友人に聞いてしまった。
すると、友人は「職場の人達は将来のこととかすごく考えてるから…私も焦ってるんだ」と言った。
「皆さん、結婚前提でお付き合いしている人もいるし、貯蓄とかも将来のために考えている人が多いよ」。
友人のこの言葉が私に突き刺さる。
周りは変わっていくのに、私は大して変わらない。果たしてこのままでいいのだろうか、と頭の中でこの言葉がこだまする。
私だけが時間の隙間に閉じ込められて、そのままの状態であるような気がしてきてしまった。
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結婚、子育て、キャリアアップ……。
私の頭の中にそのような言葉は存在しない。なぜなのだろうか。
一方、友人たちの言葉から聞かれるのは、マイホームであったり、貯蓄、車、ローン……
「今の時点でローン!?」と私なんかは驚いてしまうが、淡々と話す友人たちの顔は本気そのものだった。
彼らは自分たちの人生を最高のものにしようといろいろ考えているのだ。どうやったら幸せに過ごせるか、家庭を守れるか……などの先を見越して動いている。
私も将来について考えたこともあるが、これほどまで考えたことはない。
私は友人たちのように進む時間の流れに順応するのではなく、時間の隙間で泡のようにふわふわと浮いているような感覚である。
まだ少しだけ、ふわふわしていてはいけないのだろうか。未来が私を圧迫しそうだ。
私は移り変わる周囲に染まることなく、まだ少しだけ自由でいたいと思う。