23歳の春、私は初めての転職を経験した。
英語を使いたい、好きなファッションに携わる仕事に就きたいと考えての行き先だった。

転職先のオフィスは、いかにもファッション業界と言わんばかりのコンクリート打ちっぱなしのデザインで胸が躍った。
初日の仕事はファミリーセールの片付けという期待を裏切らない華やかさにも心酔した。

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しかし、直ぐに面接時に何度も言われた上司からの言葉を理解した。
「ファッション業界は、思っているほど華やかではない」
まさしく……。
ちょうど1年から1年半先のシーズン物を準備するかたわら、店頭に並べるべく半年先の配送業務を行った。そしてセールシーズンが近づくと、3シーズンが並行して動くという混雑ぶり。
作業は千切れたタグの再発行や卸先企業との納品のやり取り。
店舗回りでは本社の対応の遅さをひたすら謝り、展示会の準備ではサンプル品をひたすら撮影。
雑誌撮影や次シーズンのイメージ作りも、ひたすら現場に気を使って立ち止まっている時間はない。

私はそんな日々を……心から愛していた。大好きだった。
華やかじゃないところが堪らなく愛おしいと思っていた。
雑誌撮影の貸し出しにくる華やかなスタイリストさん。私はその横で荷物持ち兼スケジュール管理をしているアシスタントの方を見ると嬉しくなった。
コインの表と裏を見ているようで。でもそれが1枚のコインだと思うことで俄然やる気になった。

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私の再発行したタグがそのシーズンの流行色のバッグで揺れているとき、よりそのバッグの価値を感じた。
卸先企業との納品スケジュールのメールでは、「お世話になっております」ではなく「大変お世話になっております」と丁寧な言葉遣いの文面に感動した。綺麗な言葉を使うパソコンの向こう側の担当者は密かに先輩と呼んでいた。
自店舗にはあえて土日など休日に顔を出し、仕事で来たときよりも素で話してくれるギャップに親近感を感じた。「煙草似合いますね」と、ランチ終わりの一服姿を見てこぼした私のひと言にはにかむ少女のような店長に胸キュン。
新しく届くサンプル品には個人的にニックネームをつけて、店舗に並ぶその日を妄想しては撫でた。
イメージ撮影では、カメラマンさんやモデルさんが好むお菓子や食べ物を勝手に統計化するのが楽しかった。

新しい環境にチャレンジするために職場を離れることが決まり、面接時から気にかけてくれた管理職とオフィス内のキッチンで会った。
彼女は笑顔で、「私ね、○○さんが入社して最初の管理職面談のときに凄く嬉しかったことがあるの。『私、この会社に入って本当に良かったです』って笑顔で言ってくれたのよね。久しぶりに心が躍ったのよ」と話してくれた。
私も、その面談は覚えている。
入社して数ヶ月経った私に、業界の地味さにびっくりしていないか気にかけてくれたのだ。
それに対して否定した上で返した言葉だった。純粋な本音だった。

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華やかさを支える地味さ。
それは美しい花を咲かせる土壌の手入れのようなもの。
気持ちのこもった片鱗が商品から透けて見えたとき、確かなやり甲斐や人の温かさを感じた。
その背景が大切なのだ。

退社から3年が経った。
この片鱗はファッション業界にのみ存在しているわけではないことを知った。
とある撮影のカメラマンさんの言葉を思い出す。そしてこれからも背負って生きていく言葉だ。
「モデルやサンプルをよく見せるためには、背景を妥協してはいけないんだ」