旅に出ると、いつも何かしらのアクシデントが起こるのは何故だろう。
これまで何度かひとり旅をした中で、いちばんのアクシデントといえることがあった。

私は当時、大学4年生だった。
苦労して勝ち取った内定のお祝いをしてほしいと、当時好きだった人と東京で会う口実を作った。相手はネットで知り合った、共通の趣味がある年上の人だった。

東京で会うと決まったときから密かに決めていた。
この人に告白する、と。

聞き馴染みのないファミレスで、他愛もない会話をしながらご飯を食べた。
何を話したかなんて何も覚えていないけど、それなりに楽しかった。気がする。

帰り道の電車の中で、私は人生初めての告白をした。
かなり緊張して、顔が熱くなったことを今でも鮮明に覚えている。

彼から「返事はLINEでするね」と言われた。
もうそれが返事だよなぁ、と冷静な自分がいた。

◎          ◎

結果は案の定、フラれた。
わかっていた。わかってはいたが、告白したかったのだ。
この先好きな人に気持ちを伝えることなく死ぬのは嫌だなぁと思っていたから、ちゃんと告白したのだ。

きっとフラれるんだろうなぁ、とも思っていた。
でも、もしかしたら、もしかするかもしれないし。
何事も可能性はゼロではないだろうし。そう思っていた。

フラれるとわかってはいたものの、やはりフラれた事実は私にとって悲しい出来事だった。しっかり泣いた。初めての失恋。ちゃんと当たって砕けたのである。

ただ、本題はここからだ。

翌日に飛行機で帰る予定でいたのだが、帰れなくなったことが判明した。
天候不良で私が帰るために取っていた便は欠航していたのだ。

しかも、欠航が決定していたのは前日の夜頃。
私が当時好きだった人にフラれて泣きまくっていたときにはもう、帰れないことが決定していたのである。

◎          ◎

私は帰ることができない衝撃とともに、ある不安が襲った。
お金がない、と。

当時バイトもしておらず学生だった身としては、この状況を打破するお金がなかったのだ。
当時はクレジットカードを持っておらず、通帳にお金もあまりなかった。

幸い、天候不良が原因なこともあり、宿の手配も便の手配も、もともと私が乗るはずだった航空会社の方がしてくださった。無償で。
そのような手配をしてくださることも知らなかった私にとって、かなり救われた。本当に良かったと心の底から思った。

だが、アクシデントはまだ続く。

空港から、航空会社の方が手配してくださったホテルまでシャトルバスが出ていた。
そのバスに乗り、ホテルに着くまで数分を過ごした。

まわりはなぜか外国人だらけ。
日本人は、私ともう1組の女性4人組くらいしかいなかった。

予定していたように帰ることができず、旅行で何度かしか来たことがない東京で、心細く、不安で押しつぶされそうになりながら、ひとりでホテルに着くまでを過ごす必要があった。

◎          ◎

そんな状況下の中、同じシャトルバス内にいた外国の女性の方が一緒にいた仲間たちと談笑していたかと思えば、明らかに私と目が合う瞬間があった。

言葉はわからないが、あれは完全に私を馬鹿にしていた。

「ねぇねぇ、あそこに日本人がいるよ」

きっとそう言っていたに違いない様子のあと、その女性は私の方を見て微笑みながら手を振ってきた。あの悪意に満ちた笑みを忘れることはないだろう。

私はその光景を表情ひとつ変えずに受け流した。内心「私は動物園にいる動物かよ」と思いながら。

なんとかホテルに到着した。
悲しい気持ちを紛らわせるために、ホテルの部屋の写真を撮ったり、ホテルから見える景色の写真を撮ってみたりもした。 

時刻はすっかり夕方。ホテルのビュッフェを食べに行った。
ここでも私は、少し悲しい気持ちとなる。
私以外に、ひとりでビュッフェにいた人は誰もいなかったのだ。

ビュッフェの料理はどれも美味しかった。素敵なホテルに美味しい料理。予定通りに帰ることができなかったぼっち旅行者という状況でなければ、心の底から楽しめただろう。

誰に見せるでもなく、いつもよりも綺麗に取り皿に食べたい料理を載せている自分がいた。こんなときでも、外食した際に料理の写真を撮る癖は健在であった。
その翌日、朝の早すぎる便で、無事に帰ることができた。

◎          ◎

そんな「アクシデント特盛デー」から数年が経った。
その後も何度かひとり旅をしてさまざまな経験をしたが、やはりあの「アクシデント特盛デー」を超えるものはない。今ではすっかり笑い話だが、当時の私にとってはかなり衝撃的で激動の時間だった。

それでもやっぱり、ひとり旅はやめられない。
非日常的なあのひとときを感じたくなってしまうのだ。

アクシデントはつきものだ。避けては通れない。
これからも私は、どんなことが起きてもあとで笑い話にできるように、強い心を持ちながらひとり旅をしていく。

そして私は、この文章を旅先の東京から投稿する。
まさに「旅先にて」である。