濃紺の生地に描かれた、赤や黄、緑色のペイズリー柄。かわいらしさと大人っぽさの両方を兼ね備え、重厚感がある。思わず、目を奪われた。
普段、無地で無彩色の服を好む私が珍しく、柄物のフレアスカートに胸を打たれたのは15年前。高校1年生だった。運命の出合いだった。ロングだが、試着するとくるぶしがちらっと見える丈。生地が厚めの布だから、余計に広がらないのがまたいい。低身長でぽっちゃりというコンプレックスを解消し、スタイリッシュに着こなせる
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完璧だ。購入は即決だったが、値札を確認し決意は一気に揺らいだ。「5000円+税」。特別、高くはないが、学生にとって決して手が出しやすい価格ではなかった。その日は何も買わず、泣く泣く店をあとにした。
おしゃれ好きな母の影響を受け、幼い頃からファッションが好きだった。小学校低学年までは、母が勧める服が好みに合っていたし、一緒にショッピングしているだけで大人になった気分を味わえ、心満たされていた。中学年になると、自分で選びたい欲が高まった。雑誌を参考にコーディネートを考えたり、アパレルショップのチラシから欲しい服をチェックしたり…。母におねだりし、買ってもらった“戦利品”を初めて着て学校に行く日は、胸が躍った。「きょうの服、可愛いね」なんて、友達から褒められると「そうかな~」なんて、照れ隠ししながら心の中でガッツポーズした。大半の時間を制服か部活着で過ごさざるを得なかった中学生時代の反動か、高校生になると毎週末のように、アルバイトで手に入れたお金を手に、ひとりで服を買いに行くようになった。限られた予算でお気に入りの服を一つでも多く買うため、ショッピングモールを何時間も徘徊した。
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その頃からだ。心惹かれて買った服も、一度着ると愛着が持てなくなったのは。店に並んでいた時は輝いて見えていたのに。どうして欲しかったんだろう。何度、自分に問いかけたか。その服を着られる季節を再び迎えても、かつてのような魅力を感じられず、翌年には捨ててしまうなんてしばしば。飽き性という自分の性質からなのか、それとも、流行の変化が速いからなのか。服を手に入れても満足せず、物欲は収まらなかった。
そんな中、巡り合った一着だった。スカートが売られていたショップは、通学で利用する駅近くのビル内に位置していて、店の近くを通るたびに値下げされていないか確認した。1か月がたった頃、ついに決断を迫られた。
再び、試着を試みると、店員さんから思わぬ一言が飛んできた。
「最後の一点で、他店にも在庫がないんです」。
定価のままだったが、迷う余地はなかった。慌ててATMでお金をおろし、レジで会計を済ませた。買って大正解だった。それから1週間に2、3回は着たし、幸いシーズンを選ばずに着られ、夏物として販売されていたものの冬も大活躍だった。
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あれからいくらかの年月を経て、大人になった今、当時ほど服を欲しいと思わない。トップス、パンツ、ワンピースなど計10着程度あれば、ワンシーズンを十分に過ごせる。買い物する頻度は大幅に減り、あれこれ冒険せず、自分の好みやスタイルに合う“いつもの”服を新調する程度。面白味はないが、しっくりくる感覚を重視するようになった。
高校生の私が恋したスカートは、洗濯しすぎて色あせてしまったが、いまだに捨てられずにいる。時々、あの時の気持ちを思い出したくて、クローゼットの奥から引っ張り出す。顔つきも体型も変化したはずなのに、不思議と違和感がなく自分に合うし、やっぱりすてきで心ときめく。きっと、一生ものってこういうものなんだろう。
自分も、世の中も、変わったこともあれば、変わらないこともある。私はその時代、その時の気持ちを大切にした選択をしたい。そう思う一方で、いくつになっても心奪われる何かと、もう一度出合いたい。あの時の一目惚れのように。