小学生の頃、私はゲームセンターにあったあるカードゲームにハマっていた。それは『オシャレ魔女♡ラブandベリー』である。
魔法のカードで好きな姿に変身できる。ラブベリーは憧れだった
『オシャレ魔女♡ラブandベリー』(通称ラブベリー)は、ヘアスタイル、服、靴、シークレットカード(メガネをつけたり、髪色を変えられる特殊効果付きのカード)の四種類のカードを駆使してステージに合わせたコーディネートを作り、そのコーデを身につけてライバルとダンスバトルをするゲームだ。
当時、それまでにあったアーケードのカードゲームといえば男の子向けに作られたムシキングくらいで、ラブベリーはアーケードの女の子向けカードゲームの先駆けになったゲームでもある。
当時小学生だった私も、稼働してすぐにドップリハマっていた。母に連れられて行った買い物の帰りにやらない日はなかったし、カードも排出されるもののほとんどを揃えていた。
私にもラブベリーみたいな魔法が使えたらいいのにと、一度でも考えたことのある人たちは当時の私以外にもきっといたことだろう。
魔法のカードで変身すれば、好きな服を着れるし、好きな髪型に一瞬で変えられる。魔法一つで髪、服、メイクが出来て(ラブベリーは髪型に合わせてメイクも同時に施される仕様になっている)出かける準備ができると考えると、今でも欲しいと思うくらいだ。
そう、魔法のカードがあれば好きな格好に変身出来る。かわいい格好もかっこいい格好も。当時の私にとって、どんなおしゃれもできるラブとベリーは憧れの存在だったに違いない。自分には似合わない、手の届かないものだからと諦めた服も、彼女たちにとっては簡単に手の届くものだから。
周りの目を気にして、ゲームを楽しめなくなった
私がラブベリーを卒業したのは、小学生の中学年の頃だったと思う。
小学三、四年生にもなると、女の子たちは架空の世界のものではなく、現実世界のおしゃれに目覚め始める。それに私の周囲ではラブベリーは小さい子のものだからという風潮があったから、周りの子がどんどんやめていく中、続けていくことに耐えられなくなっていった。
それでなくても私は同年代の子と比べて身長が高かったこともあり、「あの子、大きいのにまだ子どものゲームやってるの?」と知らない大人たちにひそひそされることも少なくなかったというのもある。
今思えば、人の目を気にしないでやりたいことをやればいいと思うけど、当時の私は周りの目を気にしてばかりで、ゲームそのものを楽しめなくなっていた。
好きだったけれど遊ぶのは恥ずかしい。結局、そんな理由で好きだったものを手放した。
ワンコインあれば手の届いた憧れの世界は、手の届かない遠いものになった。
好きなものでも、人の目を気にして簡単に手放す。思えば私の小学生時代はそういうものだったのだと思う。
かわいい服を着るのもスカートを履くのも、「かわいくない子には似合わない」と言われてやめたことがあるし、たまごっちもポケモンも子どもっぽいと思われるのが嫌で、周りの子には好きだと言えなかった。
好きなものなのに好きじゃないフリをしたり、逆に好きでもないものでも周りに話を合わせたり、我慢して過ごさなければならない日々は窮屈だった。嘘をつくのも苦しかった。
でも、浮かないように周りに合わせるには、それらを諦めるしかなかった。
「諦める」を辞められたのは、あの高校のおかげ
息苦しい小学生時代を終えて、中学も特に変わりなかったが、高校に進学してから大きな変化が訪れた。
学校の校風がそういうものだったのだと思う。みんながみんな好きなものを自由に主張していた。それを否定する人もいない。それどころかそれぞれが尊重しあい、受け入れあっている。あの高校はそういう場所だった。
周りの目を気にして好きなものを諦めなくていい。それだけで自由になれた気がした。息苦しさを感じなくなった。
「もう好きなものを諦めるのはやめよう。自分がやりたいことをやろう」
そう決断できたのは、あの高校のおかげだったと思う。
手の届くものだったのに、遠ざけて手の届かないものにしていたのは自分自身だった。ラブとベリーに憧れた理由はきっと、おしゃれ魔法が使えたからという理由だけではない。
好きな服を着ておしゃれして、みんなの前で歌ってダンスをしてみせるラブとベリーの堂々とした姿にも憧れていたんだと今なら思う。
自分の好きなものを好きだと、堂々としている人はカッコいい。