私は18歳の時に地元の京都から東京に上京しました。
京都にいた時は実家に住んでいて、私の家は地主なこともあり、近所の人が地代を払いに来たり、貸している土地のことで話し合いをするために人がよく訪れる家でした。
だから、私は両親から、「近所の人から見られている意識を常に持ちなさい」とか「ちゃんとしてね」など優等生でいることを強いられてきました。
小さい頃は何とも思わなかったけど、成長するに連れて、それを苦痛に感じてきました。
また、中学の3年間いじめられていたこともあり、早く自分のことを誰も知らない町に行きたいという気持ちが強くありました。
そして私は大学受験で第一志望を東京の大学に選び、見事合格し、東京での生活がスタートしたのでした。
母の涙と消えたタトゥー。優等生な自分とロックンロールな自分の葛藤
1人暮らしをはじめた私は、とにかくはっちゃけたい気持ちでいっぱいでした。
手始めに髪の毛をブリーチして、軟骨にピアスを開けました。
そして、19歳の時に初めてタトゥーを彫ったのです。
タトゥーは一生消えないものなので、ブリーチとピアスよりもかなり渋りました。
でも、今までのストレスや、元々こっそりパンクファッションが好きだったこともあり、彫ることに決めました。タトゥーを入れてこそ反抗だ!と当時の私は思っており、ついに勢いでタトゥーを彫ってしまったのです。
場所は手首の内側でした。もちろん、長袖を着ない限り、周りからタトゥーは丸見えです。
でも、それが良かったのです。タトゥーをとにかくたくさんの人に見せびらかしたくて、
「ほら、私ってワルなんだよ!」と示したかったのです。
ところが、大学が夏休みになり実家に帰省することになってしまいました。その時の私は気が大きくなっていたので、堂々と半袖を着て帰宅しました。
すると案の定母親がいち早く手首に気づきました。
母は私が今まで見たことがない形相で怒りながら、泣きました。
そして、腕を引っ張られ、泣きながら洗濯洗剤で私の腕を擦り続けました。
私が「そんなのじゃ落ちないよ」というと、何も言わず美容外科のタトゥー除去の予約を勝手に取られてしまいました。
そんな母の姿を見て、私は最低なことをしてしまった、母を悲しませてしまったと胸が痛くなりました。
私の人格は優等生でもあり、パンクファッションやロックが好きな一面もあります。
でも母の怒り泣きを見て、優等生の自分が出てきてしまい、素直に美容外科に連れて行かれることにしました。
そうして私のファーストタトゥーは消えてなくなりました。
大切なものを、人から見えない場所に。自分さえ分かっていれば良い
でも、その後私はタトゥーを色々な場所に彫り続けました。ただ、1つだけ前と変わったことがあって、タトゥーは全て裸にならないと見えない位置にあるということです。
そして、込める意味もただのストレスじゃなくて、自分の大切なものを入れています。
普段、私は綺麗目なお洋服を着て、服やコスメが好きだったり、インスタ映えが好きだったり至って普通の女の子です。
でも、お風呂に入るときだけは、私は真っ黒のタトゥーに包まれたロックガールになるのです。全て自分でデザインした大好きなタトゥーは、人から見えなくて良い、自分さえ見て頑張る糧に出来たら良いのです。
私はお風呂に入るときにだけ見える自分のタトゥーたちが大好きです。
優等生の自分と、ロックンロールに生きたい自分の折り合いがつけられて、最高に自分の裸を気に入っています。