世の中の問題の大変さはきっと、今の自分と他を比べることをやめれば解決するのではないか。29歳、社会人3年目の私は、そう思ってしまう。つまりそれは、今の自分と、過去の自分と。今の自分と、理想の自分像と。そして、今の自分と、周りの他の人と。

今のわたしの仕事は、贔屓目であることを差し引いてもかなり良い条件であることに違いない。事務系の障がい者雇用枠での就職でも、それなりの給料をもらっている。週5日8時間働けば完全週休二日制であり、年休や休暇制度といった福利厚生制度も充実している。仕事はほどほどに忙しく充実していて、ほどほどに暇であるため、空き時間は自分の勉強時間に当てられる。残業がなく17時の定時に上がれることが殆どなので、自分の趣味や家事、友人たちとの交遊の時間もばっちり取れる。さらに付け加えれば上司や先輩・同僚も皆、優しく心温かくユーモアに溢れている。社会人2年目に体調を崩し、4か月休職で戦線離脱した私が復職する際など、「4か月なんて短い期間の休職、長い社会人生活からすれば微々たるものだから。焦らないでゆっくりリカバリーしな」と上司から声を掛けられ、この会社に骨をうずめます!!!!と感動したものだ。

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素晴らしい仕事であり、素晴らしい環境である。当然、大好きだ。だから現状に文句などつけようものなら、非難の石つぶてが降ってくるに違いない。「恵まれている環境で文句をいうな、恩知らずめ!世間知らずめ!」と。

もちろん私は今の職場に感謝しているし、仕事にプライドもやりがいも感じている。それでもやはり比べてしまうのだ。それは特に、親友Oちゃんとの比較である。

Oちゃんは私の中学時代からの親友であり、部活のチームメイトであった。一種のカリスマ性があり、人を巻き込む力や底知れぬ馬力、卓越したユーモアセンス、私の友人・知人の中で最も優れたトーク力を誇り、なんというかただ者ではない女なのである。中学時代は四六時中一緒にいて、部活で汗を流したり、カラオケや卓球に通い詰めたり、暇さえあれば恋バナに花を咲かせたり。まあ普通の女子中学生をやっていた。

しかしOちゃんが普通でないことを痛感したのは、大学受験期であった。大学にエスカレーターで進学できる私立の付属高校に進学したのに、外部大学を受験すると言い出したのだ。数百名いる同級生の中で、そのような決断をしたのはたった数名だったかと記憶している。エスカレーターで行ける大学はそれなりに名の通った名門大学で、成績の良かったOちゃんは順当に行けば希望学部どこにでも行けるはずだった。しかし、外部大学に行くと言い出したのである。数名/数百名という圧倒的少数派で。

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そして現役で志望通りの大学に合格することができなかったOちゃんは、浪人という更に少数派の選択をすることになる。しかも、9時から始まる予備校の授業の前に、毎日2時間のコンビニアルバイトのシフトを入れて、受験費用を補うというハードスケジュールで。アルバイトを終えた後、その足で予備校に行き、授業を受け、自習室で夜遅くまで勉強し、そして自宅に帰る。次の日はまたアルバイトを早朝に入れる……という生活を2年間送った。結果Oちゃんは無事、より偏差値の高い名門大学に合格し、進学したのだった。

Oちゃんの根性伝説はまだまだ続く。会社の一社に内定したOちゃんは、猛烈に仕事にのめりこみ、2年目で役職に昇格した。カラオケ中毒の私たちは、2週に1度は休日にカラオケに行く。Oちゃんの大好きなAAAの曲を熱唱していても、社用携帯電話が鳴ると歌うのをやめ、すぐに「営業〇部のOです。お疲れ様です……」と電話を取り、カラオケ部屋を出ていく。部屋に残されたのは、私とAAAである。

それだけではない。Oちゃんの休みの日に会ったとしても、「今日会社の健康診断だったんだよね、仕事の日に健康診断で中断したくないから、休みの日に予約いれたんだよねー」と涼し気な顔で語っている。仕事人間な彼女にとって、正式な用事として認められるはずの健康診断でさえ、仕事に差し障るものなのである。私だったら、仕事をさぼる正当な理由ができたと、喜んで仕事の日にいれるのに。

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Oちゃんの働きぶりがブラックであり、ワークライフバランスが叫ばれる現代にとって、少しマッチョすぎる仕事観なのかもしれないという議論は置いておく。あらゆる環境に恵まれている私の職場環境の方が、トータルでホワイトなのかもしれないということも。

それを差し置いても、ないものねだりなのかもしれないけれど、私はOちゃんが少し羨ましく感じてしまう。それほどまでに、仕事にのめりこむことができる、仕事人間であることに。そこまで仕事に一生懸命になれることに、嫉妬してしまうのだ。私、そこまで仕事に一生懸命になれているのかな、とOちゃんに会う度に感じてしまう。Oちゃんと会った日の帰りの電車では、ビジネス本や自己啓発本をAmazonで検索してしまう自分がいる。

なぜならば私も、精神疾患を発症し障がい者になる以前は、憧れたからだ。Oちゃんのような仕事に没入するような働き方に。仕事人間という生き方そのものに。17時の定時に上がり、忙しさとやりがいはそれなりな仕事ではなく、それほどまでに仕事に没頭し一生懸命になれる毎日に。

今の仕事は好きだ。冒頭で述べたように、非常に恵まれているとすら思う。でも、「変わらないために変わり続けなけければいけない」というのは誰の放った名言だったろうか。お互い社会人となったOちゃんとこれからも高め合える親友でいるために、そして今の職場とそこにいる自分を好きでい続けるために、変わる時期が来ているのかもしれない。そう思う3年目である。

ピンポーン。あ、そうこうするうちに、昨日注文したビジネス本がAmazonから届いたみたい。