病気を患ってしまうような仕事なら、やめてしまえ。
友達にならそう言うだろうし、私自身もそう思って仕事を辞めるつもりだった。

今、私は2度目の休職をしている。退職は選ばず、休職にしたのは辞めたくなかったからだろう。ただその時の自分には、なぜ退職を選ばなかったのか分からなかった。
半年以上休職した今、辞めたいのに辞めたくない、そんなジレンマがある気がする。

◎          ◎

1度目の休職は完全に過労からくるものだった。
最初の部署は忙しすぎて目が回るようなところだったけれど、人間関係も良かったし、仕事内容が好きだった。

どんどん任される仕事に、無理だー!と投げ出したくなることは幾度となくあった。それでもひとつずつ考えて考えて考えて、解が出た時には、自席で飛び跳ねたくなるくらいの爽快感だった。
取引先から仕様について聞かれ、誰にも尋ねることなく、「ここはこういう考えに基づいて、こういう仕様にしています」と答えられた時は、帰り道に大好物を買って帰った。

成長を感じられるあの空間が大好きで、そんな風な環境を作り出してくれた指導員に感謝だ。
ただ忙しかったのは事実で、初めての大プロジェクトを完遂したら倒れてしまった。

◎          ◎

そして2ヶ月ほどの休職を経て、復帰をした。
復帰時に、部署異動を促された。本当は残りたかったけれど、身体があの忙しさについていけない事は分かっていたから、部署異動することにした。

3年ほど新しい部署で働いたが、前の部署での楽しさとは違った。やはり、休職を経た後は、仕事に制限をかけられたし、やりたくてもやれない仕事が多かった。
また畑違いなことが多すぎて、1から勉強のし直しばかりの最初は楽しくなかった。

1年が経つ頃には出張が急増し、現場で自分の製品を動かす体験ができた。自分が作った製品が動く瞬間に立ち会えるやりがいは、何事にも変え難かった。
製品が動かない原因を調べたり、どうしたら製品がもっと良くなるのかを考え、より良い製品を作っていくこと、これが何よりも楽しいのである。

◎          ◎

ただ、重圧に耐えられない事が増えていっている事は自覚していた。
やはり年数が増えると任されることが増え、取引先とのうまい交渉術も必要になってきた。だが、私には上手くできない。苦手だった。
電話が鳴るたび、深呼吸し、この人だったらこの案件のことかな、と自分のメモ帳を開いてから電話を取る。思っていた内容と違い、咄嗟に答えられない時は、「掛け直す」と伝えて切る。

電話をかける前には、自分の話す内容をメモし、深呼吸してから電話をかける。そんなの続くわけなかった。

結局、また休職してしまったのだが、プライベートの忙しさも重なったためだろう。仕事が嫌いで休職したわけではない、と今なら思える。
電話が苦手なのは昔からで、プライベートでも電話はなるべく避けてきた。顔の見えない相手と話すのは、難しい。

◎          ◎

基本的に、仕事に正解は無いと思うが、私の仕事には解があった。そこが好きだった。計算して出た解と自分達が作り上げたいものを重ね合わせて、自分なりに出す解。
それが楽しくて辞められないのだろう。
取引先との電話さえ克服できれば……。