処女は、いつ失ってもよかった。
3駅先に歌舞伎町がある地で育ったわたしにとって、性は学校で学ぶものではなく街で学ぶものだった。
あの一角は、陽が沈んだ後が最も明るくなる。
家族との買い物の帰り道、横目であの赤オレンジ色のライトで照らされたアーチを見る。
冬なのに裸に近い格好をした綺麗な女性、人目を気にせずディープキスをしているカップル、値踏みをするかのような視線を街行く女性に向ける強面の男性。
誰かに言われたわけではないが、なんとなく凝視してはいけないことは彼らの雰囲気から伝わってきた。そして、そこには強力な魅力があることも同時に感じた。
人間性よりも、性別が最上位アイデンティティになる街がわたしの保健の教科書だった。

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小学校高学年になると、家族と一緒でなくても新宿に出入りをするようになった。
友だちと自転車を飛ばしてゲームセンターに入り浸ってプリクラを撮る。
髪の毛を盛り盛りにした男女がプリクラブースに消え、カーテンの下から覗く足元が複雑に絡み合っている状況を目にした。
下着が下までずり落ちている。
彼らはプリクラを撮ることなく出てくる。
女性はそそくさと下着を直しながら去っていく。

中学校2年生、先輩が引退して待ちに待った自分たちの代になった直後、チームメイトと記念にお揃いのアイテムを買いに行こうと歌舞伎町前のスポーツ用品店に出かけた。
帰りに同じビル1階の31でアイスを食べていたときだった。
不意に見知らぬスーツを着た男がわたしの横に座った。
まるで親戚のお兄ちゃんのように親しげに話し始めたと思ったら、すっと友だちに見えないように万札を2枚わたしの前に見せた。
「ちょっとだけ外のカフェで僕の話を聞いてくれたら、これあげるよ」
わたしはアイスを選んでいるときから気づいていた。この男が身体、特に胸を舐め回すように見ていたことを。
わたしは何も言わずに急いで立ち上がり、その男に背を向けて友だちの輪の中に無理やり入っていった。
ちらっと視線をさっきのベンチに向けると、その男はもういなかった。

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そんな日常とともに年齢を重ね、高校生になった。
高校は都心から離れた場所にあり、我が家も引っ越しをしたために、以前のように新宿に出入りする回数はぐんと減った。
しかし、わたしの性規範は周囲と違うことを幾度となく感じた。
みんなが彼氏とキスをしただの、またある生徒が彼氏を取り替えただの色めき立っている中、今一つ盛り上がれない自分がいた。
みんなから離れないように、好きな人をつけたり、彼氏をつくったり、エッチなこともしたが、感動はない。
エッチをしても、恐ろしいほどに何も変わらなかった。
でも「胸は大きい方がいい」という強い思い込みがあり、お弁当箱にキャベツの千切りを詰め込んだり、豆乳をバカみたいに飲んだ。
頭の片隅には、あのアーチの下を煌びやかなドレスに身をつつんで胸を揺らしながら歩く女性がいた。

大学生になると、金欠が深刻な問題となった。
マツエク、化粧品、お洒落なカフェでのコーヒー代……。
少しでも時給がよい深夜シフトに変更したが、いくらポテトを揚げても足りないのだ。
ずっとカップル喫茶に登録をしようと思っていた。キャバクラでもいい。
わたしもあの煌びやかな衣装を着て、アーチの下をくぐるときがきたのだ。そのくらいの感覚だった。

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そう、常に自分の性を売ることはできた。そしてそこに特別な感情はなかった。
マックで働くのも、ガールズバーで働くのも大差ない。

でも、ついにわたしはあのアーチをくぐって働くことはなかった。
ただ留学で日本にいなかったから。新しく働き始めたポップコーン屋さんが楽しかったから。
それはただの偶然で、性規範やら道徳感やら周囲の意見に影響されたものではない。

大人になってから、水商売をしていることにネガティヴなイメージを持ち、堂々と発する人々と多く出会った。
今でもその人たちの感覚は私にはわからない。
セックスワーク論、自己責任論など様々な意見があるが、性の話になると主観的な経験や考えを全面に出している人が多いことに戸惑う。
普段は理論的に話しをしているのに、性の話になった途端に言葉が荒くなる。
それだけインパクトのあるトピックなのだろう。
それなのに、ちゃんとみんなが共通の軸として学べる教科書がないのだ。

私の教科書は、歌舞伎町の風景。しかもわたしの幼い頃からの主観が入り混じった理解で読まれている。
これでいいのか。
このクエスチョンは、わたしの「人生の最大の疑問」として答えを探していくことにした。
そう齢29にして思えた。
これは東京がわたしに突きつけた問題だと、挑戦状だと思って。