私の生まれは、京都の田舎でも都会でもない中途半端なところで、不便でもなかったけど、家業に縛られていたり、地元の私立の女子校でいじめにあったりしていて、私は京都を早く出たかった。
近くの大阪でも良かったが、『東京』という場所は私にとって特別な響きだった。理由はないけど、何となくおしゃれだし、個性的な人が集まっていそうだし、自分を受け入れてくれそうだし、夢も見つかりそうだし、居場所がありそうだと思った。

それに“上京する”という言葉がかっこいいと思った。
そんなぼんやりとした理由で私は18歳の時に上京した。

京都を出れば、今まで味わえなかったようなドラマみたいな楽しい毎日が待っていると思っていた。大学で勉強して、サークルでワイワイして、先輩と恋に落ちて……なんて想像していたけど、現実は甘くなかった。
大学に入るともうグループができており、私はずっとひとりぼっち。声をかけても「友達いるからごめんなさい」と断られる。サークルと部活には入ってみたものの、周りと馴染めずすぐに幽霊部員になった。彼氏ができることもなく、変なクズ男にお金や体をせびられた。

東京に行けば、環境が勝手に自分を変えてくれると思っていた

私は気づいていなかった。東京に行けば環境が勝手に自分を変えてくれると思っていた。ただ何もせず、京都にいた頃から変わろうとせず、突っ立っているだけで、『東京』が、私の人生をキラキラさせてくれると思っていた。

「東京にいても何も面白くない。友達もできない。彼氏もできない。つまらない」と私は上京して10年目を目前に帰郷した。
帰ってきたあとも東京の愚痴は止まらず、散々だったと文句ばかり言っていた。

京都に帰り、何もやる気がおきず、ゆっくりしているときに、「さて、そろそろ職を探すか……」と思った。そして自分がやりたいことを探すために、それに関連する電子書籍を何冊か買った。それを読み終えた頃に、自分には自己啓発書が必要なのではないかと思い、それも買って読んだ。
すると、今までの散々な自分の人生は、シンプルに「自分がダラダラしていて、受け身だから」だということに気づいた。
環境を変えるという行動を取ったことにより、私は「何か大きなことを成し遂げた」気になっていた。なので、「私は行動したので、ハイ、幸せよ、舞い込んでください」と図々しくなっていたのだ。そんな中学生でも気づけそうなことを27歳まで気づけなかった。
大事なのは場所じゃない。東京だとか、京都だとか重要なのはそこではなかった。
上京して変われる人は、東京で具体的に何がしたいかがあったり、そこで何か行動できる人だと思った。

おしゃれな街並みより、個性的な人達より、今の京都の生活が好き

他力本願で東京に行っても変われないのは当たり前だった。
今私は京都に住んで、とても充実している。おしゃれな街並みより、個性的な人達より、何より自分の中身が詰まっていることが何よりの居場所なんだと思った。
仕事も安定していて、たまに趣味もして、自分から興味があることにどんどん挑戦して行動する……。
そんな今の京都の生活が好きだ。京都の、というより今の自分の性格やライフスタイルが大好きだ。