大学1年生の2月、私は高知県の足摺岬で雄大な海を眺めながら、目を真っ赤にして鼻をすすっていた。初めての一人旅、高校の授業で知って以来ずっと行ってみたかった足摺岬に満を持して訪れたのだ。これまで見たなかで一番濃い青色をした海、波と風の跡を残す灰茶色の崖、岩を洗う白くきめ細かい波、岩の上に小さく見える釣り人たち。昼なのにほんのりピンクがかって見える水平線も、雲が薄くはられたような空も、すべてがきれいだった。一人でここまで来られたことへの感慨深さ、教科書で見るよりもはるかに美しい岬の景色に私の心はいっぱいだった。

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19歳の若い女が岬でティッシュ片手にグスグスしているわけだから、道行く観光客はちらっと視線を投げてくる。心配そうな表情で見てくる人もいる。はたから見たら、何かに困っているか、はたまた傷心旅行かに見えたのかもしれない。周りの人からどのように見られているのかを想像した私は、心の中で「ごめんなさい。違うんです。本当にそういうんじゃないです」とつぶやきながらも、岬の景色に釘付けになっていた。

そう、本当に、違うのであった。本当のところをいうと、花粉があまりにも多かったのであった。重度の花粉症の私は、周りの木々から容赦なく降り注ぐスギ花粉になすすべもなく立ちつくしていた。もちろん花粉からは逃れたかったが、ずっと来てみたかったこの場所を花粉ごときでさっさと立ち去るのは癪だったのだ。周りにビルがたちならぶ都会で生まれ育ち、自然に触れるとしたら祖父母の家か学校の遠足しかなかったうえに、初めての一人旅だったので、山奥の花粉の飛散量や、地域によって花粉が飛び始める時期が違うなんてことには全く考えが及んでいなかった。2月下旬の足摺岬の花粉飛散量はかなり多く、言葉を選ばずに表現するなら「激ヤバ」だった。

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持っていたティッシュが尽きても、ボロボロになったティッシュを再利用しながら私は岬を眺め続けた。唐突に「大丈夫ですか」と声を掛けられ振り返ると、けげんな顔をした40代ほどの女性がいた。「花粉が、ひどくて」と答えると、女性はふっと笑ってポケットティッシュを手渡してくれた。

こうして花粉と戦いながら、1時間ほど足摺岬を堪能して帰路についた。だが都会に戻っても、花粉で過敏になった目と鼻は治らない。少しの花粉にも反応するようになってしまい、人生で一番厳しい春を過ごすこととなった。これ以降、2~3月の旅行は北の方へ、4月~5月からの旅行は南の方へと、花粉を避けた行き先を考えるようになった。またひとつ学びを得たのであった。

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代償は大きかったわけだが、当時の感動は数年たった今でも忘れられない。空も、海も、風の匂いも、その時の気温も、声をかけてくれた女性のやさしさも、すべてが新鮮さを保ったまま記憶に焼き付いている。そして、猛烈で耐えがたかった目と耳と鼻と喉のかゆみも、その記憶に一種の面白さと特別感を与えてくれているのであった。