今でこそ増加傾向にある不登校児。ニュースで話題に上る機会も多くなったと感じている。
ずっと霧に包まれたようになっていたあの頃の記憶が、最近鮮明に蘇ってきた。
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今から12年前、2011年の9月。中学一年生だった私は女子同士のいじめがきっかけで学校に行けなくなった。
よくメディアで見るような、水をかけられたとか暴力を振るわれたとかの血反吐を吐くような壮絶ないじめではない。
小学生までは陰湿な友達は周りにいなくて毎日が楽しくて、恵まれていたのだと思う。
中学校に上がりそれまで仲が良かった友達がクラスに1人もいなくなって、自分から人間関係を構築する事が苦手だった私(のちに受動型の自閉症が発覚)はとりあえず話しかけられたグループに入ることにした。
そのグループは1人美人なヤンキーがリーダー的存在で、あとの3人は言ってしまえば冴えない陰の物。そのリーダーが気にいる事をしないと仲間から外されそうになるので、皆必死にご機嫌取りをしていた。
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私も最初はそこから溢れたくなくて気に入られるような行動をしていたが、段々とその行動に嫌気がさして1人で過ごす事が増えた。
すると段々私物の文房具のデザインを「こんなの学校に持ってくるんだ〜(笑)ダサい」と笑われたり、こちらの顔を凝視しながらコソコソと悪口を言われジワジワと精神的にダメージを受けていった。
担任の先生に相談しても「人間なんてそんな事だらけ」と言って解決する姿勢すら示してくれず、味方なんていないんだと孤独と不安でいっぱいだった。
人によっては「そんな事で」と思うだろうし、耐えられなかった私の精神が生ぬるいと思われても仕方がない。
こちらからも強く言い返せばよかったのかもしれない。
ただ当時の私にとって、毎日それをされる事はひどく辛く感じた。
というのもその年の3月は東日本大震災が発生し、私の住む地域も被災した。震災の数日前から精神疾患を持った躁鬱のおじとパニック障害のおばを両親が受け入れていて、療養していた際に大地震が起きた。
ただでさえ精神疾患があると心が不安定だ。その状態で自宅ではない場所で被災し避難するのは2人とも相当しんどそうだった。その様子を見ていた12歳の私もかなり精神的に困惑した。
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その時のトラウマも癒えないまま中学校生活が始まり、部活、試験、不安定な人間関係を乗り越えた一学期の終わり。心と身体の限界がやってきた。
ある日の夕方、リビングで横になって過ごしていると足腰が猛烈に痛くなり、動けない状態になった。涙も止まらなくなって自分が壊れていくような感覚がした。
天井にあるダウンライトが涙で滲んで、ボヤボヤとしたオレンジ色のゆらめきに変わっていくのをただ見ていた。
帰宅した母親にいじめを受けている事を打ち明けると、「そんなに辛い思いしてたんだね」と夜通し話を聞いてくれた。学校に無理して行かなくていいとも言ってくれた事で、心が軽くなったのを覚えている。
この時母も一時期学校に行っていなかった事を打ち明けてくれた。「小学校の時、1年間先生からいじめを受けて行かなかったんだ」と。
いつも明るくて破天荒で美人な母親からは想像ができなかった。外は明るくなっていた。
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次の日もあまりに痛みで動けないので救急車を呼んで担架で運んでもらい、総合病院で診てもらうことになった。
入院して検査を複数しても原因は不明。医師の見立てによるとストレスで痛みが出ている可能性があるとのことだった。
それだけ精神的なものが身体にも影響するということをこの時初めて知った。
結局、一学期を終えてから一度も中学校へ行くことはなく、家に担任に来てもらって卒業式をした。
それからの人生は一発逆転、花開くようなこともなく挫折だらけだ。ストレスに弱い個体で、人に自慢できるようなことはない。病気もたくさん持っている。
でもあの夜が今の私を生かしてくれているのは紛れもない事実。
ダウンライトは今日も光っている。次にゆらめくのはいつだろう。