この辺、ぜんぶ再開発で無くなるんだよ。
すっかり日の暮れた道玄坂を慣れた足どりで進みながら、先輩はそう教えてくれた。
◎ ◎
まだ堂々と飲み歩けなかった去年の11月、それでも夜の渋谷は明るかった。アルコールの微熱をまとったまま、私たちは2人並んで目的地へ歩く。
渋谷では100年に1度といわれる大規模再開発が進んでいる。道玄坂は今年の3月から開発が進められているそうだ。
街が壊され、そこにまた新しい街ができる。
そんなことが本当にあるのか。
その間ここにいる人たちはどこに行くんだろう。
アルコールにほのかに浸かった頭で、対岸の火事を見るように考えていた。
私たちは今日、まもなく壊されるこの街で、たしかにそこにあった思い出たちをかき集めに行く。
◎ ◎
先輩は以前、渋谷のとある飲食店で働いていた。
初めて責任者として配属された、思い入れのある店だったという。
しかしその店は今回の再開発区域内。立ち退きを余儀なくされて、去年の9月に閉店した。
私たちは2軒目で、先輩がよく通っていた居酒屋に向かった。
なんでもそこは、飲食店の生き残り競争が激しいこの渋谷で、40年以上続く人気店。
「久しぶりに行く」と言っていたにも関わらず、その店の店長は先輩のことを覚えていた。店長の記憶力がいいのか、先輩が通いすぎていたのか判断しかねるまま、唯一空いていた2名掛けのカウンター席に通された。
この居酒屋も再開発の影響で、残り2ヶ月で長年の歴史に幕を閉じる。
自分たちが長い間守ってきたものを、「建て替えるから」という理由であっけなく壊される気持ちは、どんなものだろうか。
先輩も店長もおんなじなんだろうな、と、2人が昔話で盛り上がっている姿を眺めながら思っていた。
◎ ◎
「潰れる前にここ行っておきたい。すきなんだよね」。
2軒目の居酒屋を出た後、先輩はそう言ってすぐ隣の立体駐車場に向かった。
2人乗っただけで軋む古いエレベーターに乗り込むと、先輩は迷わず「5」のボタンをおす。
エレベーターから出て、外へとつながるドアを開ける。そこはまるで学校の屋上のようなだだっ広い場所に、錆びれたベンチがふたつ。それらの前には銀色の灰皿。
私たち以外誰もいない喫煙所は、渋谷の繁華街の中にいるとは思えないくらいひどく暗く静かで、でも不思議とどこか落ち着いた。
ベンチに並んで腰掛けて、先輩は持っていたタバコに火をつけてこう言った。
この場所、静かですきなんだよね。
渋谷で働いていたときによく来てた。
ああ、この人は本当に、この街がすきなんだろうな、と、染み渡るように理解した。
思えば先輩が楽しそうに語ることはだいたい、渋谷での思い出だった。
道玄坂の通りでずっと営業中外販してた。
渋谷の風俗はぜんぶ行ったと思う。
ハロウィンでナンパしようとしたけど失敗した。
どれもくだらなく、でもたしかにそこにあった思い出たち。
この錆びれた駐車場もまもなく壊され、きっと綺麗な商業施設に生まれ変わる。まるで、そこで過ごした思い出まで一新されるかのように。
私も少し、胸が痛んだ。
◎ ◎
諸行無常という言葉通り、この世のすべてのものは変化する。無駄な抵抗はやめて、痛みを持って生きていくしかない。
それでも、そこで生きた証まで否定されていいはずがない。たとえ、街がすべて壊されたとしても。
私は、そんな消化しきれない思い出たちを、うんうんと聞いていたい。そして、一緒にそれらを大切に残してあげたい。
立体駐車場5階の喫煙所から、夜空を見上げる。
もう二度と、ここから見ることのない景色。
変わっていく渋谷で今日も、新たな思い出が生まれる。