冬場、雪道を歩いていると早く明かりの灯った自宅に帰って、ゆっくり湯舟につかりたくなる。地方で一人暮らしなので、足をまるまる伸ばせるような大きな湯舟ではないが、たとえ体育座りでもいいから、ゆっくりお湯につかりたい…そう思わせるのが、中国地方の厳しい冬である。

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コロナ禍でしばらく東京の自宅に戻れなかった。コロナが明け、ひさびさにゴールデンウィークに東京の実家に帰省した時は、正直”オアシス”だなと思った。足をまるまる伸ばせる広いバスタブ、ミストサウナ、おそらくこだわったであろうシャワーヘッドに、スーパーでは見かけないボタニカル系の健康的でいい香りのするシャンプーたち。入浴剤も、バブル系のものなど洋風だ。東京の家に帰ると、香りも様相も洋風なのだ。

ゴールデンウィークが終わり、また地方の築50年以上のアパートに戻ると、急に現実に突きつけられる。広いは広いが、やはり住処にはもう少し投資すべきだったかなと思ったりもする。幸いだったのは、学生時代にアジアや中国の地方によく一人旅にでかけていため、生活水準の低さには耐性があることだ。

中国の青島に行った際、安いユースホステルに泊まった際は、部屋の床やバスタブが古すぎて、シャワーを浴びることをあきらめ、唯一清潔さが許容範囲だったベッドにひたすら体育座りで一夜を過ごしたこともある。その経験もあって、地方では贅沢はやめようと賃貸選びをした。

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ただ、地方ではやはり職場以外、20代後半女子が一人で遊ぶところや時間を潰すところがない。特に冬なんて雪が積もったりもするので、必然と自宅にいる時間が増える。中国地方の日本海側では、北海道と違い家の中でも寒いので、私の場合、頻繁にお風呂に入るようになった。寒い冬、小さな湯舟にお湯を溜めて、体育座りしながらホッとする。

東京の家ではパッゲージがローマ字でフラワーかシャンパンの香りのする入浴剤を入れるが、地方の家では、なにも入れずに「 これが日本の冬か」とただ今を噛み締めている。地方でこんな生活を過ごしていると、一体なにが嗜好品でなにが必需品なのかを考えさせられる。

地方に来て、「足るを知る」生活を数年続けていくうちに、仕事だけでなく徐々に自分のライフスタイルや価値観も変化した。ファッションやメイク用品も一つのものを数年使い続けられるように選ぶようになった。

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たまに東京で街中を歩き、いわゆる”流行り”というシーズン毎にどのお店でも統一デザインの商品が飾られているのをみると、なんだか虚しさを覚えたりする。いままでだったら、「いつもベストな自分に見せたい」と一目散に飛びついていたのに、今では「どうせこのシーズンが終わったら、どの店からも全部どさっと消えて、また新しいファッションが浮上する。虚しいな」と距離を置いている自分がいる。

そんな風に、地方で得た暮らし方と東京での楽しみ方のハイブリットを試みている。今秋も、地方の家で湯舟につかりながら、「ほんとうに大切なもの」について思い浮かべながら休憩するのだ。