遠くから見ればミントグリーン、近くで見ればオレンジやブルーやパープルの小さなお花たちが散りばめられたシャツ。全体がミントグリーンに見えるのは、その小さなお花ひとつひとつについた茎や葉が占める割合が高いからだ。

このシャツは、いつか韓国通販で購入して以来、長らく私のお気に入りで、「この服の思い出」と頭の中で検索をかければ、同時に3件はヒットする。たった3件、されど3件だ。私はこの服を着る時、1番自分らしくなれるとさえ思っている。では、その3件のうち最も記憶に残るエピソードを綴ろう。

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韓国留学が始まって2週間とちょっと。隔離後すぐに向かった釜山旅行の1日目に、私はこのシャツにアイボリーのスラックスを合わせて着た。この時から遡ること、約1年半前に日韓交流会で出会ったオッパたち(※韓国語で女性から見たお兄さんの意。親しい間柄であれば兄妹でなくても使う)との久々の再会に胸が躍って、1番お気に入りだったこの服を選んだ。

オッパたちとは西面という釜山の繁華街で合流し、昼食に天丼を食べた。隔離中ほとんど野菜しか食べなかったせいで胃もたれがすごかったが、韓国らしくパリパリに揚がった天ぷらが美味しかった。その後、海辺にカフェが並ぶ機張という場所へ移動しながら、途中、海東龍宮寺という観光地に寄った。大きな岩とその岩にぶつかって白く泡立つ波、それらを従えるようにして海スレスレのところに建つ立派なお寺がとても幻想的だった。そんな贅沢な寄り道の後で到着したカフェは、テラス席が3階ぐらいまであり、ここでも海を一望できた。お洒落で開放感のある、とても気持ちのいい場所だった。

「夜は西面で飲もう!」と機張から戻る途中、私は電車の中でウトウトしていた。実を言うと前日は1時間ほどしか眠れていなかった。
と、ここで問題発生。西面に到着したのに、座席から立ち上がれない。
え。降りなきゃなのに力が入らない。眠い。とにかく眠い。
そんな私の様子を見て心配したオッパたちが支えて立たせてくれる。その腕に身を任せて何とか降りるも、その後の予定は白紙に。とりあえずホテルまで送ってもらうことになった。私はこの時も歩きながら半分寝ていた。

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ホテルまで送ってもらい、ベッドに横たわるとオッパに「ちょっと寝な」と言われる。
分かっている。眠いけど、このまま寝たら本当に意識がなくなりそう。
過去に感じたことのない眠気とだるさに恐怖心しかなかった。謎に涙まで出てくる。そこで、何とか隣にいてくれるようにオッパたちに交渉すると、どこまで優しいのか、同じホテルの違う部屋を予約して「僕たちもここで泊まるから安心して」と言ってくれた。

そうして30分ほど仮眠をとり、ゴロゴロしながら休んでいるとだんだんと元気が出てきた。
せっかく会ったのにこれでは勿体ない!と、わがまま極まりないのは承知で、今度はオッパたちに私の部屋で飲もうと声をかけた。オッパたちは心配そうな表情だったが、ゲストへのもてなしの気持ちか、ビールの乾杯に応じてくれた。すると途中で、1人のオッパが「泊まろうと思ったけどやっぱり帰る」と言い出した。元気になった以上、止める権利はないのでそのまま見送ると、もう1人のオッパと私だけが残った。

よくある展開にはならない。だけど私たちはその夜、窓の向こうに輝く西面の光を眺めながら、とても深い話をした。具体的に覚えていることは1つもないけれど、私の不安や悩みに彼はとても誠実に回答し、エールをくれたと思う。2人して良い感じに酔いながら、ゲームをしたり、音楽を聴いたりもした。彼の話も少しは聞いただろうか。細かいことは本当に忘れてしまったけれど、その夜の、充たされた感覚だけは今もずっと心に残っている。言葉では足りない、というのはこういう時のためにある表現だと身をもって感じる。

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私は彼をとても好きだった。
人として、とてもかっこよくて温かい人だった。

彼と2人で見た夜明けの空がどれだけ美しかったか。彼はその時をどう記憶しているか。彼にとって私は何者だったか。今でもよく考える。

その後、色々あって今は疎遠になってしまった彼だけど、私の人生に現れた彼を、とても誇りに、そして有難く思う。今もどこかできっと、彼らしく幸せでいてほしいと思う。

そんな淡く濃い私の思い出は、何かのためらいが邪魔をして友人にも語れない。本当に素敵な夜だったのに、素敵な夜だったから、それが伝わらないのが悔しくて、伝えるのが恥ずかしくて、うまく話せない。でも、そのミントグリーンのお花いっぱいのシャツは唯一、その空間と時間を知っている。私の胸の鼓動を聞き、彼の魅力的な姿や言動をしっかりと捉えていたはずだ。

今はもう色褪せつつあるそのシャツ。そこには未だ色褪せない私のときめきが詰まっているのだと、この文章を書きながらしみじみと感じている。