私は先日、ふと「鹿児島が私をよんでいる」と思い立って、その日に一週間後の航空券を買った。そして一週間後、鹿児島へ飛び立った。私が住む名古屋からは片道一時間弱。忙しない日々も、街の喧騒もたった一時間離れた場所に降り立てばまるで別世界だった。雄大な自然、交通規則を守る、ゆったりとした運転、見渡す限りの山。そしてさわやかな秋晴れの高い空。なんだか久しぶりに空を見上げた気がした。

「鹿児島が私を呼んでいる」なんてかっこつけた言葉でいってみたが、実は半年ほど前からなんだか九州地方にいってみたいと、体がうずうずしていたのである。ここ最近忙しい日々に嫌気がさし、毎日同じことの繰り返しに新しい風を吹かせたいとずっと思い続けていた私にとって、鹿児島を選んで正解だった。

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というのも、偶然にも「かごしま国体」の日程と重なり、空港について早々に天皇皇后両陛下のお出迎えに参列することができたのだ。

レンタカーを借りに空港からキャリーケースを引いて歩いていると、鹿児島弁なまりのおじいちゃんに道で話しかけられて、足が止まった。

「せっかくなら、ここを一瞬天皇陛下が通るのをお出迎えしよう」

その言葉をきっかけに、そのおじいちゃんとは三十分ほど道路わきで待機しながら人生について話した。どこから来たのか、なぜ鹿児島に来たのか。明るく陽気な、時々方言で解読が難しいときもあったが、日々の疲れを癒してくれるような包容力のある笑顔に、この旅がいい方向へ向かう兆しが感じられた。

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「あんたねぇ、いい人生にしなさいよ。若いうちにしかできんからね」

そう言って優しくポンポンと肩をたたいてくれたあのおじいちゃんとは、もう二度と出会えないかもしれない。名残惜しくもその場を離れ、いよいよ一人旅のスタートを切った。

鹿児島は、時がゆったりと流れている気がした。いつも朝はギリギリの電車に飛び乗り、電車から吐き出されてかろうじて体を会社に持っていくというような日々。そんな日々がまるで嘘かの様に、人はゆっくりと歩いていた。そして、誰もがスマホに夢中という名古屋人とは対照的に、鹿児島には「人と人とのつながり」がそこら中あった。一緒に公共のテレビを見ながらラグビーを応援していたり、ワイヤレスイヤホンをしている人が少なかったり、人が人との会話を楽しんでいる様子が見られて、その温かさが羨ましいと感じた。

いつも仕事帰りでは、みんながスマホを見ている名古屋。イヤホンをしている人が多く、人とのつながりが軽薄になっている印象があった。それは時に冷たさを感じ、寂しさを感じるものであった。だけれど、鹿児島は今この時の幸せを隣にいる人と共有し合うような一体感が感じられ、その隅っこにいるしかない自分が寂しかった。一人旅って、こんなもんか。もう家に帰りたい。そう思って眠りについた一日目だった。

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二日目には、寂しくて寂しくて、誰かと話したい気持ちがピークに達していた。おいしいものを食べても、きれいなものを見ても隣に誰かが欲しい。そんな気持ちでいっぱいだった。夜に泊まったのは、街角にある小さなゲストハウスだった。そして、共有スペースで上海の女性と少し話していくうちに互いに打ち解け、仲良くなった。現在四十七歳で、これまで世界中の国を旅してきたというその女性は、「タイムイズマネーよ。どんなことにも挑戦しなさい」と英語で言っていた。

「良い夜を。明日の朝、あなたに会えることを期待しているわ」

そう言って別々の部屋へ別れたけれど、次の日に彼女はもうすでに、朝早く出発していた。旅先で出会ったたくさんの人々。一瞬だけその運命線が重なり、会話ができた人たちもいた。だけど、ほんの些細なことからもう二度と会えない人に変わる。さっきまでここにいた人も、明日にはいなくなってしまうかもしれない。「また明日ね」と別れたあの言葉が、最後の言葉だったとは、その時には気づけないのだ。

鹿児島の土地も気候も人も、私は大好きになった。一人旅はいいけれど、私はやっぱり人といることが好き。そんなことに気づけた、私の居心地のいい場所。