私の恋の終わらせ方は、いつも私から音信不通になることだった。
寂しがり屋なのに、強がりで、弱い自分を人に見せるのが大嫌いだった。
中学校で初めて出来た彼氏も、高校の時の彼氏も、大学の時の彼氏も。
いつも決まって私から、私のタイミングで、別れを告げることもなく、音信不通で恋人の前から消えていった。
だから、時には周りの共通の友達からなんとなく避けられることもあった。
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社会人になって今思うと、どれだけ相手に失礼なことだったことか。
当時の弱い私には、いつもそういう逃げ方で別れることしか出来なかったのだ。
ただ、そんな別れ方を唯一許さなかったのが、今の旦那だった。
海外との遠距離恋愛だったこともあり、誰よりもコミュニケーションを取ることを、じっくりと話し合う時間を持つことを大切にしてくれた。
私が逃げそうになった時も、そんな弱い私と真剣に、時間をかけて何度も向き合ってくれた。明らかに私に非があった時も、もちろん怒りもあったが、最終的には寛大な心で許してくれた。
良いことも、悪いことも、話し合って一緒に乗り越えてきたからこそ、それは恋から愛に変わり、彼氏・彼女から夫婦へと進めたのだろう。
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今、そういう現実があったとしても、大好きだった元彼のことを想うことも時々ある。
彼だったらこんな時、どんな言葉をかけてくれるかな……とか、今も彼と一緒だったら、どんな景色を見ているかなぁ……とか。
時々、彼のことを想うことこそが、パワーの源にもなったりする。
好きな人のことを忘れられないのは、それだけ貴重な時間を共に過ごしていたという事実には違いないのだ。
そんな過去は、無理に忘れようとしなくても個人的にはいい気がする。
そんな過去の自分も受け止めてくれる人でなければ、私は私自身を正常に保てない。
だから、私の1番好きな人は、どう頑張っても私の手の届かない存在なのかもしれない。
もちろん、旦那の存在を否定してるわけではなくて。
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いつか、どこかで耳にした、「結婚相手は二番手、本命は叶わぬ恋」。
これは、事実なのかもしれない……と、どこか心の中で納得している自分がいる。
だからこそ、好きな人を、好きだった人を、無理に忘れようとしなくていい。
想い出は自分の都合の良いように美化されがちだけど、ありのままの想い出と過去を胸に秘めていたって、他人に迷惑をかけるようなことではない。
今日も私の心の声が、「大好きだよ!」と、届かぬ彼に囁き続ける。
戻りたくても戻れない過去、忘れたくても忘れられない人。
一生忘れることのないであろう寂しさと痛みと、時には温かい想い出を抱えながら、今日も私は前を向いて歩いていく。
次に会う時は、ちゃんとお別れを言わせてね。
いつか、どこかで、またあなたと巡り会えますように。