私は現在大学四年生。

あと半年でこの監獄から脱することができる。元々海外留学することを目的に入学したものの、コロナ禍の影響で留学どころか1年半以上オンライン授業を強いられた。地球丸ごと学びの場に!などと謳っていたが、座学がメインとなってからは世界の難民はどれほどいるのかなどの知識を頭に詰め込むだけの学習となってしまった。

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半期に15万円も施設費がかかっていたのに、大学の研究室に引きこもる教授達の冷暖房費にしかならなかったと思うと、やるせない。入学式もないまま、曖昧な友人関係を築き上げ、2年生の頃には崩壊した。

よくよく考えれば、PC越しに絆を深めた友人など、長く続くはずがなかったのだ。当時の私は何も分かっていなかった。やや特殊な状況下で大学生活を送る中で、何度も退学の二文字が頭を過った。何度原付でトラックに突っ込もうとしたか思い出せない。特急列車も少し考えたが、できれば体の原型は残っていたいので辞めた。

実際突っ込まなかったということは、生きる理由はなくとも死ぬ理由もなかったのだ。今思うのは、トラックの運転手と家族の今後の人生を奪わずに済んだということが一番良かったことではないかと思う。

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今私が大学を辞めずに良かった理由や根拠は何も無い。しかし、辞めていたとしても辞めて良かったことが浮かんでくるとも思えないのだ。大学二年の夏に、コロナ禍も相まって私は引きこもりデビューを果たすこととなる。

親は高いお金を払ってやっているんだから、少しでも楽しく過ごしてほしいと言った。こっちだって楽しく過ごしたいに決まっているのに。母の期待は今も私を縛り続けている。私の娘はこうでなければならない、といった理想像から少しでも逸れようとするものなら全力で対抗してくる。容姿に対する評価も辛辣だ。私は彼女の所有物なのだろうか。

思えば、髪の毛を切った時も切る前の方が良かったなどと言われたり、痩せたらマシになるのになぜ痩せないのか、肌を綺麗にしろ、など自尊心を踏みにじられることがあまりに多いのでは無いかと感じる。家では大学にいる架空の友人と楽しく過ごしていることとしているが、実際は周囲から避けられ一人でグループワークとやらに取り組んでいる。彼女の期待に応え続けることが、今の自分の足枷となっている。

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最近実感したのは、小学生から中学生にかけて人格形成をする中で築いた友人関係は長く続いていくということだ。個人差はあると思うが、自分の一番良くない部分を知っている友人というのは、強い。逆に、大学になってから出会う人々は、何枚もフィルターをかけて自分を創り、偽りの自分を演じる。そしてそれが剥がれた時に、その人との関係は終わりを迎えるのだと思う。大学時代に生涯の友を見つけられる方々には、心底尊敬する。

大学生活で痛感したのは、自ら手を挙げない人間は何者にもなれないということだ。これはどんな授業より有益な事実であると私は思う。