母が大切にしていた時間、夜中の誰もが寝静まった真っ暗なリビングで、テレビの明かりに照らされながら声を静かに笑ったり、時には感動の涙を流す時間。

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幼い頃の私は、眠れない夜や、ふと目が覚めてしまった時、真っ暗な寝室に灯るオレンジ色の常夜灯を見つめていた。けれど、漠然と眺めていた明かりから、真っ暗な宇宙に地球がポツンと浮いている映像が連想されて怖くなる時がある。
そういう時は、徐々に心臓がぱくぱくと早くなり、なんだか地球はすごく無防備な気がして心許ない気持ちになる。するとついにはいつでも宇宙に投げ飛ばされてしまうのではないかとまで考えてしまう。

ここまでくると私はもう眠るどころじゃなくなって、この不安な気持ちをどうにか落ち着けようと体を起こし、寝室の扉を少し開けるのだった。
すると、リビングの電気は消えていて、テレビの光に照らされた母の姿だけが見える。普段はテレビにもツッコミを入れる母が、笑い声や独り言を抑え、音量も最小限でテレビを見て、自分だけの時間を楽しんでいる。そんな母を見ていると、安心したようにまたすぐ眠くなって、布団に入って寝てしまえる。

しかし、いつものようにリビングを覗こうとしたある日、慣れてきたせいか扉を開けすぎた私に母は気付いた。私は「早く寝なさい」とでも言われるかと思ったけれど、母は意外にも「一緒に観る?」と私を誘った。私は母の気が変わらないうちにソファへ座り、序盤20分ほどがすぎた映画を一緒に観た。

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観ていた映画は『鴨川ホルモー』という青春コメディ映画。オニを操り、変な呪文を唱え、見た事ないポーズを決める。私は思わず声を出して笑いそうになるけれど、母は寝ている兄や妹を起こさないように「しー」と言った。私は母のようにうまく声を抑えることができず、我慢すればするほど面白くて、お腹を抱えながら静かに笑っていた。そして、私がまだ関わることもない大学生の世界は、こんなにも面白くて、変てこで自由に溢れた毎日を過ごすものなのかと大人への憧れも強くなった。

ただ、翌日は起きるのが辛くて、学校に行ってもずっと眠かったことを覚えている。外で鬼ごっこをしてもすぐに捕まったし、授業は呪文にしか聞こえなかった。

それから時は経ち、私は大学生になった。
趣味は映画鑑賞、年間100本の映画を観る。大学生になった私は、あの時の母のようにみんなの寝静まった深夜に映画鑑賞をしている。全ての電気を消し、扉を閉め、たまに贅沢をしてポップコーンを用意する。

私はこの“深夜の一人映画観賞会”をとても大切にしていた。「この日は夜に映画を観る」と決めたら、課題やアルバイトの調節をして万全の準備をした。
煩わしいものを全て片付けたあと、どっぷりと映画の世界に浸る。真っ暗なリビングでは見えるものが画面の世界だけ、静かなリビングでは聞こえるものが画面の世界だけ。小さな音にまで耳を澄ますと、自分が映画の世界にいる感覚になった。

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そう、私は映画の世界に浸れる環境を必要とした。それは、映画を最大限楽しむためだけではなく、私自身の表情筋からしても必要としていた。
これは最近気付いたことでもあるけれど、私は大学生になって喜怒哀楽が極端に薄くなった。感情のままに泣くことも怒ることも喜ぶこともしない。だから、口角もうまく上がらないような辛い日や腑に落ちないことを無理やり飲み込んだ時、表情筋が固まっていく感覚がしっかりとあり、これではいけないと思う。

けれど、我慢することも必要だとわかっているからこそ、映画の中でわんわん泣く登場人物に同情することや地団駄踏む登場人物に加勢することで気が済んでいる。だから、こうやって映画を観ている時間だけは、私一人の世界なのだと守りたいと思う。

あの時、母も一日を終え、作り出した時間で映画鑑賞をし、普段は動かさない部分の表情筋を緩めていたのだろう。私はこの時間、一人で凝り固まった表情筋と硬く締めていた涙腺を緩める。
私もあの時の母のように、鉄壁のガード(完璧な準備)を張ってその時間を楽しんでいる。