カフェ巡りが好きな私は新しいカフェに訪れると多くのお店で「同世代の女性客が来てくれた!」と、店員の女の子たちに喜ばれることが多い。
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そこには「ただ私が来たことが嬉しい」ということを差し置いて、「普段は年配の男性客が多いから」という大前提があるからだろうと推測する。
そのやりとりは他の誰かよりも自分が必要とされていると感じる瞬間でもあり、その居心地の良さからそのカフェへの出入りの回数が増えて、入り浸ってしまうという自身の行動傾向に気がついた。
それゆえに「わたしの居心地の良い場所」がカフェになっていることも事実。
自分が必要とされている場所はもちろん、自分を必要としてくれる人にも依存してしまう私の思考は「幼少期の“不安定な愛情の土壌”が関係している」と臨床心理士の先生は言う。
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幼少期に私の“不安定な愛情の土壌”が育ってしまったのは私がのっぺりした顔という大前提があるからこそ引き立ってしまった、妹の端正な顔立ちゆえに、母の姉妹に対する扱いの差をひしひしと感じて育ったことにもある。
「媚びる子」として長年生きてきてしまったので人への甘え方が分からず、なんでも許してくれる包容力を求め、年上男性による「愛情もどきの親切」と甘い言葉を鵜呑みにし、ポイっと捨てられることもザラだった。
正直、年上だから包容力があるということは全くなかったし、彼らの庇護欲を満たすために私は「愛情もどきの親切」を与える先にはうってつけだった、というただそれだけのこと。
“不安定な愛情の土壌”のせいで、自信という名の芽が健やかに育つことはなく、いつも根腐れを起こしていた私。 あの時に臨床心理士の先生が表現した“不安定な愛情の土壌”という言葉を聞き、最近起こった出来事を思い出した。
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先日10日ほど自宅を空けることがあり、育てていた観葉植物たちがすっかり枯れてしまっていた。
「ごめんね」と声を掛けながら観葉植物が植えられていた土を触るとカッサカサ。
慌てて霧吹きで水をあげたもののあまり元気になってくれず、植木鉢から土ごと出してみたら植物の根が腐ってしまっていた。
腐った部分を切り落とし、何を思ったか、カサカサだったその土に植え直し、一旦霧吹きで水をあげるのをやめてみたら少し復活したものの、最終的に全部枯れてしまった。
根が腐ってしまった時にあげた水を「愛情もどきの親切」に置き換えるならば......。
過去のチリツモで築き上げてしまった“不安定な愛情の土壌”に「愛情もどきの親切」を降り注がれても“不安定な愛情の土壌”の下では自信という名の芽が頑張って育とうとする前に枯れてしまう。
だから、“安定した愛情の土壌”ができるまで「愛情もどきの親切」の摂取はしばらくの間は遠慮しようと決心した。
そのうち“安定した愛情の土壌”が育てば自信の芽が花を咲かせ、その花にピッタリの人たちが寄ってきてくれるだろう。
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26歳も残り4ヶ月を切った。
自信の芽を育てるための“安定した愛情の土壌”を育むべく、腐った根のような人間関係を切り落とし、27歳を迎えるまでにカサカサになってしまった土のような心をごっそり入れ替えて過ごそうと心に誓った秋の夕暮れである。