私が通っていた高校は、帰国子女が多い学校だった。日本で生まれ育ち、海外経験は全く無かった私にとって、この少し変わった学校での経験は、私の人生を形づくる契機だったと度々振り返る。

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単純に自由な校風と、私服通学に惹かれて選んだ高校だった。入学式で歌われる英語の校歌。数カ国語が飛び交う教室。入学初日、自分がどこの国から来たのか自己紹介するクラスメイトに囲まれて、私は人生で初めて自分がマイノリティーだと感じた。

仲良くなった女の子2人も、帰国子女だった。一人はイギリス帰国で、一人はアメリカ帰国。2人とも英語がペラペラだった。一緒にお昼ご飯を食べたり、休みの日に遊んだり、3人でよく一緒にいた。そんな時、基本的に日本語で会話するが、たまに2人は会話に英語が混じった。
後になって分かったことだが、日本語よりも英語で表現した方が、より伝えたいニュアンスに合うことがある。でも当時の私は、そんなことは知らず、突然始まる英語での会話に戸惑った。第一、友達が目の前で話していることが理解できなかった。2人が英語を使うとき、彼女たちにそんな意思は全く無いと分かっていても、疎外されている気持ちにもなった。

でも、そんなカルチャーショックも入学当初だけで、次第に困惑は憧れに変わった。日本語のおしゃべりに混じる、流暢な英語にも慣れ、いちいち驚かなくなった。それに、分からない言葉は、ただ意味を尋ねれば良いと分かった。

そして何より学校全体に、個人を大事にする雰囲気があった。私は女子の団体行動が苦手で、中学時代はK Y(空気読めない)と言われたこともあった。そんな私にとって、はっきりと意思表示をする子が多い高校は居心地よく、合っていた。

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そして、クラスメイトが暮らしてきた、各国の経験談は、単純にとても面白かったし、私の全く知らない世界を知っている友達を羨ましく思うようになった。日本とはここが違う、こんなことがあった、というような話を聞いているうちに、自然と私も海外で暮らしてみたいと思うようになった。

友達が話している国を、自分の目で見てみたい。学年が上がり、進路を考える時期になっても、その思いは強く、もっと英語を学んで留学したいと考えるようになった。でも日本を離れて海外に行ったら、両親が寂しがるだろうなと、当時の私はそんなことで悩んでいた。

そんな時、部活顧問の先生と話していた時に、悩んでいることを話したら、「もし自分に子供がいて、同じ立場で悩んでいたら、どうする?」と言われた。そこで、もし私が親で、子供が同じようなことで悩んでいたら、と考えてみた。そうすると迷わず、親のことは一旦気にせずに自分が行きたいところに行ってみたら、と声をかけるだろうと思った。そうして私は、留学制度が充実している大学に進学を決めることができた。

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結局、当時は体調の問題もあって、高校生の時に思い描いていたような長期留学は実現しなかった。だけど、あの時先生がかけてくれた言葉はずっと心に残った。
就職する時、転職する時、一人暮らしを始める時。何かに迷うたびに私は自分に問いかけてきた。「もし自分の子供だったら?」と。
すると、余計な迷いに埋もれていた、自分の意思を見つけて、一歩を踏み出すことができた。

今は、学生時代に抱いていた憧れは薄れたが、海外で暮らしてみようという気持ちがまた湧いてきて、ワーキングホリデーを検討中だ。いつも悩んでばかりの私だけど、先生のおかげで、自分に自分でアドバイスする方法を知ったから、前に進める。