「今の子って何してるの? 若い頃なんて恋愛ぐらいしかすることないでしょ!?」これは、私が親しくしている女性が投げかけた疑問である。

女性は私の母と同世代の50~60代。女性も母も、若い頃にキラキラと輝く恋の思い出を持っていて、若い頃は夫がデートで何処其処へ連れて行ってくれたとか、プロポーズはこうだったとか、耳が赤くなるようなエピソードに事欠かない。だから、恋愛が美しく楽しいものであることは分かるし、何を差し置いても優先させたい事柄なのも納得だ。

今の時代の出会いや生活に「恋愛」を加えることはエネルギーが要る

ひるがえって我々20代に目を向けると、確かに私の周囲で浮ついた話はあまり聞かない。実際、20代で恋愛経験のない人の割合は3割近くにのぼるという統計もあるので、若い子が恋愛をしなくなったというその人の感覚は、現実に近いものがあるのだろう。

そもそも、私たちの日常は職場と家の往復(コロナの今はそれもなく、ずっと家!)ばかりなので、出会いが少ない。休日は寝溜め・買い物・資格の勉強・趣味・溜まった家事へと時間を割いていくと、あっという間に1日が過ぎるし、それも体力のある今だからできる生活ともいえる。

積極的に街コンやアプリで出会いの機会を作っていかないと、恋愛にたどり着くことが難しい。今の生活に恋愛を加えることはエネルギーが要るのだ。

特に、告白に。エネルギーの要る恋愛に、母親世代はどうやって取り組んでいたのか気になったので、先日両親と恋について話してみた。80年代の若者は、恋のきっかけづくりのフットワークがとても軽いことがわかった。

男の子は女の子を見て、「この子かわいいな」と思ったら、玉砕覚悟で交際を申し込む。実際、母も何度か面識のない男の子(昔の学校はマンモス校だから、知らない同級生もいた)に、待ち伏せされて告白されたことがあるのだとか。そういう話はあちこちであったらしい。

衝撃だった。告白の前に、友達として心地よい関係を作って、相手の気持ちを探らないのか。話したことのない人に勝手に思いを膨らまされて、告白されて、不気味に思わないのか……? 当時はこれが普通だったらしいから、「私の感覚が今どきっぽいね」ということで話は終わった。

私にとって恋愛は、「エネルギー」と「勘の良さ」を必要とする

私にとって恋愛は、エネルギーと勘の良さを必要とする。交際経験は今の彼の1回だけ。5年前に趣味で通っていたアートスクールで出会い、交際に至るまで1年近くかかった。

時間がかかった理由は、怖かったからだ。一方的な気持ちを打ち明けて、相手を困らせることが怖かった。私は気持ちを察するのが苦手なので、相手がこちらに好意を持っているかどうかなんて、とんと見当がつかなかった。何度も食事や美術館巡りをしているから、少なくとも嫌われていないことはわかったけれど。

彼の気持ちの探り方がわからないし、下手にさぐって好意がバレないか怖い。いや、もう、彼に好意があるかどうかなんてわからなくていい。彼も私も世間話や美術の話を楽しめている。言葉に詰まらずスラスラと会話ができる関係は滅多に得られない。これ以上、何を求めよう。

結局私は、万に一つ甘い関係を築く可能性にかけて告白するのではなく、この気持ちを墓場まで持ち込むことにして、良きお出かけ仲間でいようという結論に一度至った。

……いや、結論を出したものの、このまま友達なのか、それ以外なのかわからない関係を続けることも、難しかった。彼に彼女ができて、お出かけ仲間でいられなくなったら寂しいなと思ったから。

そこで彼にこんな質問をした。「もし、好きな人と距離を縮めたかったら、あなたはどうするか」と。彼の答えは「自分からお出かけに誘って、後日向こうから誘われるかを確かめる。うまくいったらもう一度自分から誘う。それを繰り返す」というものだった。

私は恐る恐るそれを実行した。私からも美術展に1、2回誘ってみたのだ。好意に気づかれたら、あとは砕けるのみだし、そうでなければそのままお出かけ仲間でいればいい。そうして結局彼がしびれを切らして告白し、今に至る。

母が若い頃の恋愛はスリリングな恋愛。でも、私の恋愛は慎重だ

こんな感じなので、私は恋愛に自力で踏み切ったことがない。彼の勇気がなければ、私はおそらく今もソロだったと思うし、何かの不幸で別れが訪れた時には、きっと新しい彼氏と出会うのに途方もない時間がかかるだろう。

だいたい、恋愛は圧倒的にリスク回避が難しいのだ。仕事は、ネットを探れば企業の評判がゴロゴロ転がっているし、買い物も家事も趣味もネットで最適化できる。自分次第で失敗を最小化できるのだ。

でも、そんな考えは錯覚で、本当は仕事だって何だってやってみないとわからないことはよく知っている。それでも、1対1で真正面から向き合う関係を築く恋愛のほうが、相手のことを知るまでに時間がかかるし、私のような慎重派にとっては、時間をかけて築いた心地よい関係をたった一度の告白で別のものに変えることが恐ろしい。

逆に80年代は、ネットなんて普及していないから、もしかしたら恋愛でも仕事でも、なんでもやってみないとわからないといった感覚が、今よりも強かったのかもしれない。だから、玉砕覚悟の告白もできてしまったのかも? それでうまくいかなかったらまたチャレンジして、運命の人を探しに行く。そんな恋愛もスリリングでいい。

私の場合はというと、ネットで男心について調べても、彼に当てはまるかどうかはわからないから、じっくりと対話を重ねて相手が喜ぶことを探るしかなかった。わかりにくいアプローチで何とか好意をほのめかすのが精一杯だった。

最適化とは真逆の、ひたすら慎重なトライのプロセス。結果的なことではあるが、慎重派でよかったと思っている。ゆっくり、そっと、時間をかけて築き上げた彼とのツーカーの仲。こうなるまでに、母が結婚した年齢を超えてしまった。けれど、得難かった関係だからこそ、私の生活の重要事項に彼を据え置きたい。