今日はお酒を飲みたい。
仕事を終えて自宅の最寄駅に降り立ち、ひとりお酒の衝動に駆られた。

「お酒を飲みたい」と思って真っ先に思い付く場所は、前職で居酒屋の店長だったときに通っていた居酒屋。「もつ煮込み串」という珍しいジャンルのその店は、料理のおいしさと接客の良さで地元客に人気だ。
けれど、退職してから足が遠のいてしまった。最後に行ってからもう半年以上経っていて、今更行くのも気が引ける。
しょうがない、缶チューハイで我慢するか……、と近くのスーパーでほろよいを買って飲みながら帰っていたそのとき。

「あれ?!」
薄暗い住宅地で私に声をかけたのは、通っていた居酒屋の店長だった。

◎          ◎

私は新卒で前職に入社して、2年目から店長になった。
「ブラック」といわれる居酒屋業界だが、店長は楽しかった。自分が頑張った分だけ店に反映されるし、バイトと一緒に理想の店を作り上げていくことが最もやりがいだった。
それが崩れたのが、入社4年目の10月だった。

いろいろな出来事が重なったからかもしれない。親しい人の異動、仕事量の増加、プライベート事情。いつものように頑張れなくなり、気持ちがどんどん暗くなった。
自分の空気が店の雰囲気になる。
それは店長の私が誰よりもわかっていたこと。だからいつも明るく振る舞っていたのに、気づいたらマイナスな発言ばかり。大切にしていたバイトにキツく当たる。
自分が居たら店がダメになる。すぐここから早く離れないといけないと思った。

そのとき通い始めたのが、自宅近くの「もつ煮込み串」の居酒屋だった。

同期と一緒に行ったことはあったが、ひとりで行くのは初めて。自分の店の営業終わり、終電で最寄駅に着いて徒歩3分。勇気を持ってのれんをくぐると、0時過ぎとは思えない気持ちのいい「いらっしゃいませ!」が聞こえてきた。
こぢんまりとした縦長の店内に、カウンター席が4つ。目の前はオープンキッチンで、カウンター越しに店員と常連さんが話している。私はその2つ右隣に腰掛けた。

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ひとつ歳上の男性店長は、初めてひとりで来た女性客にもお構いなしで話しかけてくれた。
「お仕事帰りですか?」「何の仕事されているんですか?」「えっ、居酒屋の店長ですか!どこのですか?」
気さくで元気な口調は、まさに居酒屋向きだった。時刻はすでに深夜1時。私の店は0時閉店なので、1時にこのテンションで接客するのがどれだけすごいことかわかる。

あまり自分が働いている店の名前は言わないけれど、そのときはつい言ってしまった。「ああ、あそこね!僕まだ行ったことないんです」「店長って大変ですよね、明日も頑張りましょう!」

勇気を持って入ってよかった。気持ちよく見送られた私はそれから毎週末、この店に通うことになる。
店長と話す内容も、次第に本音になっていった。
「今日21時くらいからめっちゃ混みましたよね?!」「今日は23時にバイトがあがっちゃたんで、0時前にキッチン入らないといけなくて……」
違う会社、けれど同じ店長。
同じ会社の人やバイトの前では話せないことも、ここでは話せる。

終電後、私のもうひとつの居場所ができた。

◎          ◎

久しぶりに会った店長は、他店におしぼりを借りているところだった。
「お久しぶりですね!」と相変わらず気さくな口調で話す店長に、私は「すみません」と切り出した。
「実は前職辞めて実家に帰っていて、こっちにはあまり帰ってきてないんです。それで行けてなくて……」
求められてない言い訳をする自分が情けない。けれど返ってきた店長の言葉は、意外なものだった。
「辞めたの聞きましたよ!今、前エビアンさんが働いていた業態の店でバイトしていた子が2人、うちで働いてるんです!行きません?」
驚いた。その2人は同じ店ではなかったものの、面識はあった。ふたつ返事で「行きます」と、缶チューハイ片手に帰路をUターンした。

久しぶりにくぐるのれんの奥には、かつての仲間たちが働いていた。
「えっ?!久しぶりじゃないですか!」「なんでほろよい持ってるんすか(笑)」
私は、かつての仲間との時間と、この店に行けなかった時間を埋め合わせるようにたくさん話して飲んだ。相変わらず料理はおいしいし、店長は深夜まで気さくで明るい。

この店に通っていたときは、「早く退職したい」一心だった。
けれどまたこうしてかつての想い出の場所に行くと、「ああ、戻ってきた」という安心感に浸ってしまう。
またこの店に帰る理由ができた。