私の父の趣味は、カメラだ。
これは、非常に困ったことだった。
家族旅行は父が写真を撮りに行きたいところに設定され、長々と写真を撮る父を待たされる。家族で食事に行けば、嬉々としてテーブルやら外観やらを撮り、延々と付き合わされる羽目になるからだった。

しかし、文句を言いつつ本気で抗議しないのは、父の写真の腕をある程度認めているからである。家族写真は映画のワンシーンのようになっているし、母や私や妹の顔は、いつもより3割増しで美人になる。旅行先の思い出は、臨場感たっぷりに残っていて、アルバムは写真集さながらだ。

才能は知られなければないものと同じ。父に教えたInstagram

これは、父の才能なのではないか。
私はふとそう思った。
今の時代、才能は、SNSで知らないだれかにも見てもらうことができる。そこで私は、父にInstagramを教えてみようと思った。
父も聞いたことはあるようだったが、操作の仕方が分からないという。タグの有効なつけ方だとか、フィルター加工できるアプリだとか、こんなことも知らないのかというようなこまごまとしたことなどを、手取り足取り教えてみた。

もともと、アナログな生き方の父である。新しいアプリへの順応は遅く、私からすれば「見ればわかるだろう」と思える機能さえ、説明されてもわからないようだった。
いかに、私たち世代と親世代が見えている景色が違うかを思った。

しかし、私にはある種の使命感があった。
才能は、知られなければないものと同じである。これまでは、作品を見てもらう機会を作るには、展示会をするほかなかった。父も何度か知人とともに展示をしていたようだった。お金も時間も労力もかけて、しかし、インフルエンサーでもない一般人の展示会など、労力のわりに得られるものはたかが知れている。
それがSNSなら簡単で、スピーディーに反応が得られ、しかもどの写真に人気があるかが可視化される。
父の作品を、ほかのだれかにも見てほしかった。SNS、ここは才能を証明する場なのだ。

教えてくれた夢の話。私は父が諦めたものの上に生きている

教え方に四苦八苦し、たまにケンカ腰になりつつも、アプリの使い方を伝えていく。はじめこそ何が何だかわかっていない様子だったが、何度か触るうちに慣れていった。
フォロワーの数に一喜一憂し、いいねが多くつけば要因を分析したがった。父と似た風景写写真を投稿しているアカウントをライバル視し、批評したがり、良い撮影スポットをインスタから探す。すっかりハマったようだった。

「昔は、写真家になりたかった」

あるとき、父は言った。

「でも、自分は男だから、働いて家族を養わなくてはならないのだ。だから、稼げなくて不安定な写真家の道は、あきらめたのだ」と言っていた。

今よりも、男女の役割意識が強かった時代の人である。
確かに、写真を撮ってお金を稼げる人なんて、実力もあって運もある、ほんの一握りだ。挑戦のハードルは、今より高かったに違いない。
私は、父があきらめたものの上に生きているのだ、と切なくなった。

若き日に諦めた夢を叶えた父。SNSは魔法のインフラなのかも

そんな矢先のことだった。
父から、メールの文面のスクリーンショットらしき画像が送られてきた。

「【優秀賞】に決定いたしました。誠におめでとうございます!」

Instagramを通じて、フォトコンテストに応募していたらしい。
父の作品が、優秀賞に選ばれたというのだ!
なんでも、1700件を超える応募作品の中での受賞だという。さらには、賞金までいただけるらしい。

「すごい!おめでとう!」
私が父にインスタを教えたおかげである、と、私も誇らしい気持ちだった。
父は嬉しそうに言った。

「今はいいなあ。写真家になれなくても、写真でひともうけできてしまった」
SNSは、かつて若き日の父が諦めた夢をもう一度叶えてくれる、魔法のインフラなのかもしれなかった。