私はピアノの練習が大嫌いだった。

母に無理やり連れていかれる習い事のひとつのピアノ。家で練習を少しもしようとしない不真面目な私はいつも母に怒られながら練習していたが次第に練習もせずにレッスンにいくようになる最低な生徒だった。
けれどピアノの先生はいつもにこにこして私を迎え入れた。

「ここで練習すればいいのよ〜。続けることが大事」
それが先生の口癖。

授業料を払ってるんだから当たり前だと思われるかもしれないが、ここの授業料はピアノ教室としては破格だった。いつも受動的な態度の私にいやな顔1つしない先生。ピアノの先生といえばスパルタなところが多いが先生は違った。
先生は私が今まで出会ってきた大人の中で1番優しく、そして1番温かい人だった。

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先生は行事ごとを大事にした。
クリスマスやお正月、そういう行事ごとにはいつも可愛らしいラッピングに包まれたプレゼントをくれた。習っていない弟の分も。弟がレッスンに付いてくることは歳を重ねるにつれほとんど無くなっていたのに絶対にいつも2人分だった。
クリスマスの辺りにレッスンに来れない時には自宅の前に2人分置いておいてくれた。

こんなこともあった。
自分のレッスンの前のレッスンを待っている間、本棚にある漫画を読んでいいことになっていて、それは貸出可能だったので家に持ち帰ったことがあった。
好きなマンガを最新刊まで一気に借りた。それもかなりな量。それをいつの間にか弟にビリビリに破られていた。私の弟は障がいを持っていた。きっとパニックが起きたのだろう。弟の目に付く所に置いた私が悪い。けど母に言ったらきっと大事になって怒られる。弁償するにしても金額が……。
怖くなって先生にも言い出せず私はピアノを辞める日まで黙っていた。最低だ。先生のこと大好きなのにそんなことをする自分が情けなかった。

先生はずっと何も言わなかった。
辞める前、最後のレッスン。

私は先生に本当のことを話した。ビリビリになった漫画をできる限り綺麗に直したが、それはあまりにも不恰好で涙があふれそうになった。
そんな私を前に先生は
「そんなこと気にしてたの？あそこにある本はもう読まなくなった漫画だから全然いいのに」 と笑った。

その笑顔に私がどれだけ救われたか。
私はピアノの練習は大嫌いだったのに最終的にここの教室に10年通うことになった。
しかし、それは母に強制されていたからではない。

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小学1年生の頃から毎週土曜日。私のライフステージは10年でどんどん変わった。
その最中、息ができないほど辛いことが多々あってその度私は居場所を失った。
けれど毎週土曜日午後5時。レッスンにくれば変わらない場所がそこにはあって。

レッスン後にはいつも元の小学1年生の頃の何も考えていない自分に戻れたような気がしてほっとした。

なにか先生に話すわけでもない。

先生もレッスン以外のことを無理に聞いてきたりしない。
その空間がたまらなく好きだった。
その空間がいつも私を素の私に戻すのだ。

先生はきっと私が弟のこと家族のことで悩んでいたのを知っていた。きっと学校でも上手くいかない不器用な私の性格も。そしていつも何も言わずに寄り添いピアノに向かってくれていたのだ。

私にとってあのピアノ教室はピアノを上手に弾けるようになるためだけのものではなかった。私が私でいるために必要不可欠だった。味方でいてくれる大人がいるという安心感が私を真っ直ぐ大人にしてくれた。
あの場所であの先生に出逢えた。

それは私の人生の幸運だった。
こんな大人になりたいと今でもその背中を追っている自分がいる。

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あれから10年経った今、今度は私の親戚の女の子が同じ先生の所に通っている。
今度の発表会は顔を出そうかな。
あの時渡せなかった、新品の漫画を手土産に。