この前、テレビである女優が言っていた。「家事をしていると、夫が『何か手伝おうか?』」と言ってくるのに腹が立つ、と。これには私も同感である。「手伝う」という言葉には、家事は妻が主体になってやるべきことであるというニュアンスがある。

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本来、家事は夫婦が「協力」してやることなのに。「手伝う」という言い方をしていいのは、あくまで子どもである。けれど、子どもに家事をお手伝いさせることも、昨今では賛否両論あるようだ。子どもを全員東大に合格させたカリスマママが、「家事は本来大人の仕事。子どもは遊んだり勉強したりするのが仕事なのに、大人がすべきことを『お手伝い』という名のもとに頼むのは、子どもに失礼だ」と。

このママは「家事は大人になってからでも十分習得できるので、子ども時代は子ども時代にしか出来ないことに優先して取り組むべきだ」とも述べている。これについてはどうだろうか。包丁など道具の使い方は、小さいうちからやった方が上手になると思うし、家事を通して身体的にいろいろな経験をした方が、脳の発達にも良いと思われるのだが。

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かくいう私は、子どもの頃ピアノを習っていたこともあり、母は包丁には一切触れさせなかった。件のカリスマママと同様、お手伝いするひまがあったら勉強しなさい、という教育方針だったので、旧帝大を卒業できたが、私はりんごやじゃがいもが包丁で剥けない。ピーラーを使っている。

ちなみに私の義妹も、難関大学を卒業しているが、料理はできない。そのことを姑がなじったとき、私は無性に腹が立った。「他のことには目もくれず勉強ばかりしなければ難関大学には合格できません。家事を覚える時間などなかったはずです」と。

ものごとには臨界点があるという。語学の習得や自転車に乗ること、ピアノの演奏は、ある程度小さいうちに仕込まなければ、大人になってからでは出来ない。けれど、家事は、大人になってからでも伸びしろがある分野だと思う。私はたしかに包丁を上手に使えないが、料理が決して嫌いではない。むしろよい気分転換になっている。包丁でごぼうをささがきに出来ないので、拍子木切りにしたきんぴらごぼうだ。もうそれをネタにして楽しんでいる。

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それに今は、昔と違って家電製品も豊富だし、料理が出来なければ買ってくることもできる。男性は、家事をしてもらうために結婚する必然性が完全になくなった。花嫁修業などという言葉も完全に死語だ。少し前までは、「卵焼きくらいきれいに焼けないとお嫁にいけない」などと言われたが、今の男性はそういう観点で結婚相手を選んでいる人は少ない気がする。

だって、こんなに家事が苦手な私でも結婚しているのだ。夫は、家事ができるかどうかより、いっしょにいて居心地がいいかどうかが大事だと言っている。それに、家事を完璧にこなしすぎる女性は、息がつまってイヤだとも。実際、家事を完璧にこなすスーパー主婦なのに、ご主人と家庭内別居している人も知っている。だから、これから結婚する女性に言いたい。家事ができるかどうかはそれほど問題ではない。もっと気楽に考えて! と。