仕事のこと、プライベートのこと、身の周りのさまざまに意識を散らしながら「何だろう」としばし思案する。自分が座っている椅子から半径2メートルの周囲も、ついでにぐるりと見回してみる。今年のうちにやりたいこと、何だろう。

しばらく考え込んでしまったものの、はたと思い浮かんだことがひとつあった。

そうだ、積読の消化だ。

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つい先日も、待ち合わせの時間潰しでふらりと古本屋さんに立ち寄った際、「この本欲しいな」「あっ、この本も」「うわこれも読みたかったやつ」といった具合に目を輝かせたことがあったが、いや待ちなさいよともうひとりの自分に制された。

自宅には、未読の本が少なくとも5〜6冊は溜まっている。それなのにここでまた数冊の本を買ってしまったら、積読がさらに増えることになってしまう。湧き出た物欲を泣く泣く押さえつけ、後ろ髪を引かれる思いで私は店をあとにした。まずは、今ある積読を消化せねば。

読書は私の数少ない趣味のひとつではあるものの、最近はめっきり読むペースが落ちている。「忙しい」「時間がない」を理由にするのは、あまり好きじゃない。どんなに慌しかったとしても、1日の中に隙間を見つけて数ページでも紙をめくる時間は多少なりとも取れるはずだ。

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私は本のなかでも、とりわけ小説を好んで読む。物心ついたときからそうだった。

ゲームや漫画は暗黙のルールで禁じられていた家庭だったものの、本だけは違った。幼い頃、母はよく私と妹を図書館に連れて行ってくれた。ページをめくった先に広がっている物語の世界に、私は純粋に心をときめかせた。子どもの私にとって、小説は唯一の娯楽と言ってもよかった。

自分で自由にお金を使える年頃になってくると、本を書店で購入して手元に置いておくようにもなった。

とはいえ本はどうしても物理的にかさばるから、あれもこれもと買うのはできるだけ控えている。そもそも整理整頓があまり得意ではない私は、できるだけ持ち物を少なくすることで必要最低限の清潔感を保つよう心がけている。

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そりゃあ、欲を言えばたくさんの本に囲まれて暮らしたい。部屋に大きな大きな本棚を置いて、そこにお気に入りの小説をずらりと並べるのが夢のひとつではある。想像するだけで、これもまた心がときめくものだ。そのためには、大きな大きな本棚を置けるスペースがある広い部屋に住めるだけの稼ぎをまず得なければならない。私の夢はまだまだ遠い。

小説は、一見するとただの活字の羅列だ。漫画やアニメ、さらには映画のような視覚的な鮮烈さにはどうしても欠ける。それでも、活字の海に潜れば潜るほどその世界の深さを思い知らされる。文章を通して与えられる感動や衝撃に、私は数え切れないほど胸打たれてきた。

さまざまな場面で母からの過干渉を感じてきた子ども時代は複雑な記憶が少なくないけれど、それでも、たくさんの本に触れさせてくれたことは素直に感謝したいと思っている。読書は間違いなく私のルーツだし、読むことが好きだったから書くことに自然と手を伸ばすようになり、結果的に今の私は細々とではありながらも書くことを仕事にし、日々を生きている。

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今ある積読の中には、元々は母の持ち物だったはずの小説も何冊かある。遺品整理の際に持ち帰ってきた物ではあるものの、いずれもまだページは開けていない。

今年の年末には、母の1周忌がある。そういった意味でも、手元の積読は今年のうちに読み終えたいなと思っている。弔いにはならないかもしれないけれど、身近すぎる死によってもたらされた空虚さから始まった今年1年を心静かに畳むことができるような気がする。

こうしてしたためたならば、早速行動だ。

ベッドの脇に置いてある、読みかけの文庫本。このエッセイを書き終えたら、物語の続きへ潜りにいこう。長らく眠ったままでいるまた別の海たちが、私を待ち続けているから。