「奥さんになるのだから、ちゃんと家事するのよ」

母から口酸っぱく言われたこの言葉、

そもそもいつの時代から、家事が女性の仕事となったのだろうか?

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 家事、それは私が一番苦手なこと。

料理はある程度はできるが、掃除と洗濯、特に乾いた洗濯物をタンスにしまうなど片付けることが本当にできない。主人は私と同棲し始めた頃に、私の掃除の下手さに呆れていた。そして今では私の代わりにロボット掃除機を雇い、その子に掃除の仕事を与えている。ロボット掃除機くん、ありがとう。

家事ができない30歳目前の私だが、実は共働きの親に育てられた。普通であれば幼い頃から家事のあれこれができるイメージを持つだろうが、残念。私は家事のやり方を親から学ばず、そして教えてもらっても覚えようともしなかった。

「今から覚えればいいじゃん!」

とツッコミが入るが、どうも覚えたいと思えない。

母はそんな私の姿を見て、「ちゃんと家事を教えておけばよかった。」と笑いながら後悔している。そして私にいつも言う。

「家のこと、ちゃんとやるのよ。」

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 ああ出たよ、その言葉。そして私はいつも思う。

「家事は女性の仕事か?」
「家事は基本的に女性がやるもの、男性は仕事をする」

私の父は昭和の考えを持っていて、私が小学生頃の記憶では父自ら掃除機をかけたり、洗濯物を干したりするところを一度も見たことがなかった。家事はすべて母や娘たちにやらせていた。私はいつもムスッとしていたが、母は特に何も言わなかった。そのような考えを持つ主人や母の両親に刷り込まれたのだろうか、無意識に家事をやっているように見えた。そして娘の私に家事を積極的にやるよう、口を酸っぱくして言い続けていた。

しかし、私はそれに「待った!!」と言いたい。

今は令和。平成の時代から女性の社会進出や自由がより重要視され、表立って働く女性が増えてきた。社会の変化に伴い男性が「専業主夫」として活動したり、 ロボットが家事をしてくれるようになったりなど、女性の義務とされていた家事が「みんなの家事」へと変わっていったように感じている。

しかし、それでも「家事は女性の仕事」と刷り込もうとする昔からの風習が まだ残っているような気がしている。

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以前SNSで家事ができない女性に対し「女性として終わってる」というコメントを見た。家事ができない、していないだけで女性そのものの価値が決まってしまうのか??私はそのコメント主に怒りを覚えた。

性による身体的構造の違いで家事ができないのならまだ納得はいくが、身体的構造が違っていても覚えれば男女問わず基本的にはできる。

「昔から、そう決まっていた。」と風習的な理由で女性が家事をするものと決めつけないでほしい。そして、それだけで人の価値も決めないでほしい。

これを書いて気づいたが、私は「家事は女性の仕事」に刷り込まれている現状に不満を持っていたから、いつまでも家事を覚えようとしなかったのかもしれない。そして「女性という枠を壊したい」、「もっと自由になりたい」とも思い、家事よりも仕事や趣味に熱を注いでいたのだ、と。

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家事はみんなの仕事、これが自分たちだけでなく親の世代にも少しでも良いから広まってほしい、と願っている。

またもや勢いで書いてしまった。見返すとわがままでフェミニズム気取りを醸し出しているが、このような人の意見がまだあることを知ってほしい。

この調子だと、今後も私は家事が不得意のままだろう。しかし、自分の自由や仕事を楽しめるのであれば家事を覚えなくてもいいや、と開き直るのであった。