忘れっぽくて恋多き私が、ずっと忘れられない高校時代の恩師の存在

今まで恋した相手の名前を思い浮かべてくださいと言われたら、半数も言えないほど恋多き学生時代を過ごした。
別にそれだけなら過去の思い出として静かに胸にしまっておくのだが、何が良くなかったかといえば当時の私は赤穂浪士ばりに「本懐を遂げねば生きてゆけぬ」という質で、すぐ本人にポロリとこぼしてしまっていたことだ。

そのため未だに同窓会では意味ありげな視線を向けられることもあるが、大抵こちらはそんなこと綺麗さっぱり忘れ、挙句の果てに相手の名前も思い出せないなんてこともしばしばで冷や汗をかく羽目になる。
以前、お世話になった方が「私の名前を覚えてますか、とは聞かないでください。ぜひ私の顔を覚えてますか、と聞いてください。そしたら僕は必ず頷きますから」と言ってたが、成程金言である。話しかけるならぜひそう聞いて欲しい、と思いながら記憶にない彼らに曖昧に笑ってそそくさとその場を離れた。

そういう調子だったが、卒業して何年も経った今になって、私は先生のことを特別な気持ちで思い出している。先生というのは高校時代の恩師のことで、私は三年間現国の面倒を見てもらった。
少し神経質そうな顔立ちの、お洒落で(いつもネクタイとワイシャツの色が揃っていた)、教えるのが上手い先生だった。生徒からの人気もあったと思う。バレンタインの時期は職員室のテーブルいっぱいにお菓子が並んでいたのを覚えている。

将来への不安が「懐かしい感情」を思い出させているのかもしれない

当時先生のことをアイドル的偶像として、もしくは恋愛として好きな生徒は知っているだけで何人もいたが、私はそうではなかったと思う。もちろん特別好きではあったけれど恋ではなかったはずだ。
友人のいない生徒だった私にとって、先生は学校でくだらない話の出来る唯一の人だった。そういう意味で当時から、かけがえのない人ではあったが。

卒業して随分経ち、加えて同窓会のような高校時代を振り返るようなイベントがあったわけでもないのに、何故か最近先生のことを思い出すことが増えていった。
それは輪郭が曖昧に溶けた過去が突然鋭利な破片となって私を突き刺すような体験で、その度に痛みに驚く。

例えばそれは珈琲の匂いに冬の日の職員室を思い出したり、スーパーに並ぶお菓子を見て先生が土日にこっそり食べていたことを思い出したり、というようなことだった。
人間は気分が沈んでいるときに、過去から懐かしいという感情を引き出して、気分の調節をするらしい。もしかしたら私が先生のことを思い出しているのも、いつか将来と呼ばれた日々が思うようにならないことが多いからかもしれない。

これは恋ではないと前置きしながら、先生に毎日心の中から呼びかける

日常の中で季節が移り変わる度に、先生に伝えたいことが増えていく。
先日早咲きの山茶花の花を見かけた。散歩に出歩いたとき、民家の塀越しに数輪だけ薄い桃色の花が咲いていたのだった。
いつの間にか冬が目前にあり驚いたが、そのとき同時に頭の中で過去と現在がぱちぱちと光るような気がした。昔、私は同じ光景を見たことがある。

そうだ、いつぞやの日記に書いた。学校からの下校途中にやはり山茶花が咲いていたのだった。寒くて空も地面も灰色の道沿いにそこだけ自然が色づいていて、とても綺麗だった。先生に民家のどこそこに山茶花があったと書いたら、「現代版垣間見ですね」と返事をくれたのだった。

ともすれば些末なことだと捨てられてしまうが、誰かに共有したい出来事や感情。私の場合、そういうものの宛先にはいつも先生がいる。卒業してこんなに経って自分でも不思議な気がするが、毎日心の中だけで先生に呼びかけている。これは恋ではないと前置きしながら。

先生、今年も山茶花が咲きました。……どうか風邪など引かぬようお体大切にお過ごしください。