芳しい香りがツンと鼻をつく時、あなたは何を感じるだろう。いい香り、心地よい香りと思うだろうか。それとも———。
一歩街へと足を向ければ、そこかしこにカフェや喫茶店があり、コーヒーの香りを漂わせている。それを感じる度に「おっと、息を止めなければ」と鼻で息をするのを止める。そして無事に通り過ぎたことを確認し、やっと鼻を解放する。
なぜそんなことをするのかって?それは私がコーヒーと仲良くなれないから。
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朝食にコップ一杯のコーヒーを、通勤通学時に一本のコーヒーを、仕事中にカフェで一杯のコーヒーを、就寝時に最後一杯のコーヒーを。コーヒーはこれでもかというほど、日々の生活にあふれかえっている。
自分が飲まなければ良いというだけの話ではないのだ。最大限気をつけていなければ、目の前の人が突然コーヒーを飲み始めてしまうかもしれない。
なぜそんなにコーヒーに対して警戒心を強めているのかと聞かれれば、答えは一つ。あの独特な香りだ。苦味や酸味を感じさせる、カフェインの香り。
あれが私の脳内で”毒々しい茶色”に変換され、香りが届く頃には鼻のシャッターは降りてしまっているというわけだ。兎にも角にも仲良くなる方法が見つからない。
身近にコーヒーを飲む人がいなかったから馴染みがないだけじゃないかと言われれば、全くそんなことはない。
母は毎朝、そして昼頃に一杯のコーヒーを飲むし、旅行のときなんかは夜でもホテルのコーヒーを飲んでる。オフィスでも同僚の多くは仕事中にコーヒーを買いに出かけたり、会社にはコーヒーマシンまで置いてあったりする。打ち合わせのときにディレクターやプロデューサーにコーヒーを用意させられることまである。自分で用意してくれれば良いのに、これには本当に参っている。
では、実際に飲んだことがなくその美味しさがわからないからではないかと聞かれれば、それもまた違う。大学生の時に二、三回、そして仕事の打ち合わせ時に周囲に合わせざるを得ず、二、三回。回数は多くないものの、まあそれなりにコーヒーを飲んだことはある。
ただしそれはブラックに限る。砂糖やミルクは邪道。そのままの苦味が感じられる方が飲みやすい。私はそう思う。
だからといって、その味が美味しいと感じるわけではない。飲まずに済むのであればそれに越したことはない。自ら好んでコーヒーを手に取ることは後にも先にもないだろう。
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苦いから苦手。そう言ってコーヒーを飲まない人は一定数いる。
ただ、コーヒーの香りが好きになれないから飲みたくない、と避ける人は私は出会ったことがない。むしろコーヒーは香りを嗜むものという認識が強いだろう。
だから周囲には苦手な理由をなかなか言い出しにくいのだ。
友達と出かけたとき、大抵、ちょっとカフェに入ろう、と言って唐突にカフェや喫茶店探しが始まる。そういうとき、多くの友達はここ好きなんだよね、とか、ここオシャレだったよ、とか、まあよくお店を知っている。それだけ普段からよく行っているのだろう。
大して良い店も知らない私はなんとなくその場をやり過ごしながら、頭の中では、「ああ、これから数時間はなるべく鼻で息をしないようにしなければ」と対策を考えていたりする。そしてコーヒーを頼むか、それ以外のものを頼むか、一人で葛藤を繰り広げるのだ。
ただ、隣でそんなことを考えているとも知らず、友達は嬉々としてお店探しに没頭してくれているから、それはそれで良いのかも知れない。
これからも、私はただ一人、コーヒーと仲良くなるにはどうすべきかの議論を続けるとしよう。