いつもとは違う、お客さんとの距離が近いホールで、独特な音が特徴的なピアノに向き合い、涙を流した夏。「熱情第三楽章」を奏でるも、まさに悲惨に終わった発表会は、私に刻まれた夏だ。

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新型コロナウイルスが流行り始めて迎えた一昨年の発表会。その年は中止になるかと思われていたが、先生のご尽力により限られた人数で、小規模のものが開催されることとなった。毎年出演し、そのたびにレベルアップしていたし、大学生になり時間に余裕もでき、かなり意気込んでいた。

曲は、ベートーヴェンの熱情第三楽章。多彩な音と、縦刻みのリズム、激しく情熱的なパッセージ。その全てに魅了されて、加えてその難易度にも心躍り、前年の発表会が終わったのとほぼ同時に練習を開始した。発表会二週間前のリハーサルで見つけた課題を一週間で克服し、当日直前のレッスンは最高の出来栄えだった。
今までもそれなりに曲を完成させてきて、(自分で言うのはおこがましいけれど)教室内でも周囲から演奏を褒めていただけることが多かっただけに、当日演奏するのがかなり楽しみだった。

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発表会当日。本番前のリハーサルの後お昼休憩があり、その後本番という流れだった。リハーサル前に、面識のあるメンバーと合流し、会場の中に入った。
想像していたよりも狭い待合室とホール。いつもは公共施設でありながらも広めのホールで演奏しているだけに妙な緊張感が走る。
リハーサルはそれなりの出来だった。可もなく不可もなくといった感じだ。

そして、お昼休憩。それまでは親子丼を食べるのがルーティンだったが、駅前のファミレスでドリアをいただいた。かなり満腹になるまで食べた。観に来てくれた両親に「緊張してる?」と聞かれ、「まぁね~」とあいまいな返事をした。本当は、それまでの発表会とは違う感覚があったけれど。

そして本番。二番目に演奏することになっており、後輩の女の子が先に演奏しているのを先頭で聴いていた。……上手い。ミスもほぼなく、彼女らしい誠実に音と向き合う素敵な演奏だった。そして自分の番が来た。
自信たっぷりに椅子に座る。さて、弾こうか。

たーんた たーんた たーんた たーんた たーんた たーんた たーん!

一度聞くと忘れられないリズム。
先生に教えられた間合いを、囁くようにして呟きながら演奏する。
今までは頭の中でしていたことを、今回はあえて口に出してみることにしていた。リズムと速さが均一になると、本番の直前に考えたからだ。
最初の1ページ、2ページ目と終え、3ページ目がやってきた。難所だ。
そのとき、ぽんっと頭の中から音が消えた。なんだっけ、大きなミスをする。まずい、どうにかしなきゃ、あ、間合い、急いだらだめだ、深呼吸、待って手が止まらない、ここは弾けるはず、ミスした、どうしよう、後ろで先生が聴いているのに、両親もいる、みんな期待してくれていた、あぁ、曲が終わってしまう、また間違えた。
……終わった。

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悔しくて、お辞儀をした後、前が見られなかった。消毒をして、崩れ落ちるように席に座った。その後は涙が止まらなくて、大好きな先輩方のピアノの音は何も聴こえなかった。
休憩の時間がきて、先生に「最後まで弾き切った。偉かった」と肩にそっと手を置かれ、励まされた。「泣かなくていい。十分立派だった」とも言われた。
しかし、その後もほぼ抜け殻状態で、全プログラムを終え、みんなが頬を染めて余韻に浸る中、そそくさと会場を後にした。

帰宅後、両親は撮ってくれていたビデオをほぼ見ておらず、「ああ、失敗したんだな」と改めて認識した。両親はクラシックをあまり知らないので、曲が華々しいと喜び、情緒的だとつまらなそうにする癖がある。今回は両親にとってのアタリ曲だったが、あんな演奏では見る気も起きなかったのだろう。私もそんな両親の空気を察し、発表会については触れなかった。

熱情第三楽章の楽譜は、あれから開けていない。心に重石のようにずっと残っている。褒めてもらった発表会の記憶はほぼないのに、一昨年のものだけが忘れられない。
これからもきっと、ずっと忘れられない夏だ。